★サンタフェ1日目・2011/02/19


ニューメキシコ2日目は、風邪でゲホゲホしている神様ハンズと一緒に、二人で咳き込みながらアルバカーキのダウンタウンから列車に乗ってサンタフェに行って来ました。



サンタフェと言えば、随分昔にあるタレントさんがヌード写真を撮影して話題を浴びたという記憶があります・・・。

その他にサンタフェと言えば、女性画家のジョージア・オキーフが晩年になってニューヨークから移り住んで数々の作品を描いた街としても有名です。




こちらがサンタフェ行きの列車。



二階建てなんです。



しかも結構新しい列車で、何と列車内にはインターネットも使えるように出来ているし、電源までついている!



こちらは列車の二階から撮影したダウンタウンの駅。



お値段は往復で$8でした。

乗り込む前にチケットは何処で買うのかと係りの人に聞いたら、乗ってから係員の人が廻ってくるからと言われました。


言われた通りに先に乗り込んで席に座り、列車が出発してしばらくしたら係員のお姉さんがチケットを売りに来ました。


日本的な考えだと、列車に乗り込む前にチケットを買うというアイデアですから、知らないと混乱するかも知れません。



こちらが車窓から見たアルバカーキのダウンタウン。ホノルルのダウンタウンも小さいですけど、コッチの方が更に小さいと思いました。


Amtrak - ABQ

320 1st Street Southwest, City of Albuquerque Alvarado Transit CENTER, 

Albuquerque, NM

(505) 842-9650

amtrak.com


アルバカーキからサンタフェまでは約2時間。


11時前の列車に乗りましたから、向こうに着くのはお昼です。


早朝は8時30分発というのがあるのですが、その次の便に乗ったわけです。


サンタフェでゆっくり過ごしたい場合は、朝の便に乗るのが懸命でしょう。



サンタフェまでの間に停車する駅は5つくらいだったと思います。


この周辺に住んでいる方々は通勤や通学のために列車を使っているように見えました。


ホノルルも早くモノレールが開通して欲しいと思います。



車窓から見える風景というのは、そんなに代わり映えしない感じでしたが、一カ所だけ急に波動が強く変わる場所がありました。


確かネイティブ・インディアンの居留地の一つだったと思うのですが・・・。


あの場所はかなりのヒーリングスポットだと思います。



非常に珍しい寒波の中でしたから、あちらこちらに雪が積もっていました。


いつもは見れない風景を見れたわけですから、ある意味でラッキーだったのかも知れません・・・。

列車に乗っている時間は約2時間なのですが、そんなに長い感じはしませんでした。


なので2時間も乗っていたの?という変な感じです。


どこかで時間軸がねじれているのかも知れません・・・。


1時間くらいしか乗ってなかったような不思議な感じでした。



こちらはサンタフェの駅で写した何かの路線図。

アルバカーキからロズウェルまで列車で行けるのかと思って調べたら、列車は通ってなく、飛行機も飛んでいませんから、車で行くしかないようです・・・。



こちらはサンタフェの駅に着いた時の風景。


なんと列車の中にはK-9が登場していました。


麻薬捜査犬です。


さすがアメリカ・・・。


捕まった人はいなかったようなので、誰も麻薬を所持してなかったのでしょう・・・。


こういう体験を出来るのもアメリカ本土ならではなのかも・・・。

今突然のように思い出しましたが、サンタフェでヌード写真を撮影したのは宮沢りえさんではなかったでしょうか・・・・?



サンタフェの駅はとても小さな駅で、可愛い感じがしました。


都会という雰囲気は全く無し。


駅の中は小さな売店になっていて、その売店さえ田舎の雰囲気です。


別に格段にオシャレなわけでもなく、おいている商品もオシャレではありません。

神様ハンズはホっトチョコレートを買ったのですが、紙パック入りのホットチョコレートの粉を渡され、自分で給湯器からお湯をカップに入れて注ぎ込んで混ぜるという代物です。


たったの1ドルでしたから、そんなものでしょう。


この駅でスタバ並みのサービスを期待してはいけません。


友人が「サンタフェってリゾートでしょ?」と言っていましたが、ハッキリ言って、田舎です。

波動は? と聞かれたら、そんなに悪い感じはしませんでした。


とにかく寒波の中だったので、波動云々という部分が上手く働かない・・・。

これから風邪でゲホゲホの神様ハンズと一緒にサンタフェを徘徊です。

さて、サンタフェはリゾート地なのか???

Santa Fe Southern Railway

410 South Guadalupe Street, Santa Fe, NM

(505) 989-8600

sfsr.com


駅からダウンタウンまでそんなに遠く無いハズということで、歩いて行くことにしたのですが、そこから試練が待ち構えていました・・・。

駅でマップを手にいれておけば良かったのですが、あまりの寒さでそんなことを考えつかなかったんです。


神様ハンズは前に来たことあるから大丈夫であろうと踏んだのですが・・・。


駅から出て右に行くか、左に行くかという部分で、私は左だと思ったのですが、神様ハンズは右だと言います。


おまけに「アンタの言うことは信用できヘン!」とまで言われ・・・。


とにかくサンタフェ経験者の神様ハンズの言う通りに右に進んでも、一向にダウンタウンらしき風景に行き着くことはなく・・・。


歩いていたらホテルらしき建物を見つけたので、そこに入ってマップなり無料雑誌を手に入れることにしました。



この建物はホテルだったのですが、ホテルという看板が見つけにくいので、一体何なのか分からない人も多いのでは・・・。


中はやや薄暗く、ぱっと見はまぁまぁ高級なホテルなようでした・・・。



ホテルの玄関脇で見た風景が美しかったのでパチリ・・・。


これは雪景色だったから奇麗だったと思いますが、普通だったらどうでしょうね。


光りと影のコントラストが美しい部分は、ペルーのクスコに似ていると思います。



ホテルで手に入れたマップを頼りに紆余曲折しながらダウンタウンへ向かっていると、反対側から歩いて来る人がいたので、その方にどうやったらダウンタウンにあるプラザに行けるのか聞いたら、そのまま左に行きなさいと言われました。


やっぱり最初から左に行っていれば良かったわけですが、そんなのは後の祭りなので水に流し・・・。

サンタフェの街の中を歩いていて思ったのは、ここで働いている人たちは非常に親切です。

聞いてもないのに、道に迷ったのか聞いてくる。旅行者に親切な街という部分は好印象でした。



こういう川がありまして、これを渡った付近からダウンタウン的な風景が始まりました。


手にしていたのはギャラリーマップだったので、その地図の中にはギャラリーとレストランの名前しか掲載されてなく・・・・しかもマップに乗っているのは番号だけ・・・。


あんまり使い手のことを考えて制作されてないマップというのは使いにくいです。


サンタフェに行く際は、予め性能の高いマップをどこかで事前に手に入れるのが良いでしょう。



ダウンタウンの外側は、美しいという感じよりも、寂れかけた簡素なアメリカ的な雰囲気でした・・・。しかし雲一つない空の青さが、とても奇麗なので、赤煉瓦とか、茶褐色の建物が非常に美しく見えます。



ここいら辺から何となく良い感じに。一応は中西部に入ると思うので、西部劇的な感じと、メキシコ的な感じが合体した不思議な街というのが妥当かも・・・。



この建物の左側に横道がありまして。そこは壁画が美しいから行ってみなさいと通りすがりの美人のお姉さんに言われました・・・。



こういう壁画が描かれていまして・・・。



まぁ確かに他の横道に比べると奇麗な感じでした。



こちらがサンタフェ風の建築というのでしょうか・・・。土壁なのだと思いますが、一般的な木造建築やコンクリート建築と違って、鋭角的な角が無いので不思議な感じがします。


「角が立つ」という表現がありますが、建物や家具にしても、角が鋭角的に切れてない方が、生活する人にとっては良いんです。角の立っている家具やレイアウトは、そこに住む人の性格に角を立たせるのです。ものを買う時は、角が直角的に鋭利に切れてないものを選ぶのが懸命です。



こちらは何となく西部的というか、ニューオリンズ的というか・・・。



こういう建物が一杯あったのですが、あまりの寒さにサッサとどこかのレストランに入って暖をとりたかったので素通りです。



いやぁ寒さには建築美も負けてしまうということですね・・・・。

サンタフェで思い出しましたが、かのシャーリー・マクレーンもこの街に住んでいるんです・・・。


数年前にここに家を買ったんです。


丁度この時はマイアミへ講演会へ出かけているという情報でした。


運が良ければどこかでシャーリー・マクレーンに出会えるかもしれない街というのも魅力の一つかも知れません。



ホノルルやシアトル、ポートランドなどと比べると、かなり異質な風景です。 当然そこには異質な美があるので、日頃はお目に書かれない異質な美を撮影してみました。

こちらがプラザと呼ばれる街の中央にある広場を取り囲む建物の軒下で工芸品を売っていたネイティブの方々。

プラザと言われたらクスコの超巨大なアルマス・プラザというのが頭に残っているので、「プラザってこんなに小さいものなの???」と何となく変な感じでした・・・。



あちこちに積もっていた雪も、少しずつ溶け始めていました。



日の当たる場世には雪はなく、日陰に雪が残っているわけです。

当たり前か・・・?



こちらはプラザの中にあったメキシコ料理のレストラン。


とにかくどこかに入ってランチにしようと言うことで、何も考えずに入ったのですが・・・。



入ってから失敗したと思いました。

このレストランは何故か異次元でした。


部屋の中の波動がアチコチでシフトしている・・・。


入った時は結構ガラガラで私たちのセクションには人はいませんでした・・・。



こちらはお豆のスープ・・・。

しばらくしたら次々にお客が上がって来て・・・・。


「急にお客が増えて来たわね、さっきまではガランガランだったのに・・・」と神様ハンズのお言葉が・・・


そんなのいつものことなんです・・・。



見た目は奇麗だったのですが、お味はウ~ンでした。


風邪を引いていたというのもあって、自分の舌が普通ではないかも知れないと思い、コメントは控えさせて頂きました。


普通の人なら美味しい料理だったのかも?


しかし、ウエイトレスのお姉さんが魔物で、彼女が通り過ぎる度に、お腹の周辺の波動がバックリと奪われて行く・・・。


ここは黒魔術の街かいな? と怪訝に思ったくらい怪しいウェイトレスでした・・・。


本人は意図的に波動を奪っている訳ではないと思うので、もしかしたらヴゥードゥ系の子孫の方なのかも知れません・・・。


こういうシチュエーションの場合はサッサと引き上げるのが懸命です・・・。


変なレストランだったという感想に対して、「やっぱりアンタの言うことは信用出来へん」と神様ハンズに再び言われ・・・。



サンタフェでもどこでも、店に入って???と感じた場合は、怖いもの見たさで居残るのではなく、サッサと引き上げるのが懸命です・・・。



さてランチの後は激寒の中、プラザの周辺を探索です。 ここいら辺で目に留まったのはターコイズ・ブルーですね。


ネイティブ・アメリカンと言えばターコイズのジュエリーですが、建物までターコイズ・ブルーにしてしまうとは・・・。



ターコイズは自己表現にも関わる色ですから、アーティストの多いこの街にはピッタリな色なのかも知れません。



影の中で奇麗だった風景。 あまりの寒さに近くまで行って細かく見てみようなどとは思いませんでした・・・。


なので素通りです・・・。



ここいら辺は近代的な作りではなく、かなり古い建物だと思います。


オアフ島やマウイ島にも同じような雰囲気の街がありますが、サンタフェとは比べ物にならないですね。


この街くらいの大きさとまとまりがじゃぁないとシックリ来ないのでしょう。



こちらはインディアンが弓を指している銅像。


そう言えば銅像系の作品はそんなに見なかった気がします。



雪の中でも店の前に露店を出している・・・。



こちらは今回の掘り出し物。


何となく入ったジェム・ショップで見つけた、縞メノウ。


何とこのメノウの中には、何千年、もしくは何万年前の「水」が閉じ込められているんです。


店の小母さんの視線など気にせず、何度もオーリングテストを繰り返して、最も強いものを買いました。


他にもハーキマー・ダイヤモンドの中に水が閉じ込められている非常に珍しいものもありました。



こういう感じの可愛いお店もありました。 しかし中には入っていない・・・。



こちらは確か駅の近くにあった壁アート。


サンタフェはアートが好きな方ならリゾート気分で楽しく滞在できるのは間違いないと思います。


サンタフェ (ニューメキシコ州) 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

サンタフェSanta Fe)は、アメリカ合衆国 ニューメキシコ州 北部に位置する同州の州都 。人口は62,203人( 2000年 国勢調査 )。1607年に創設された長い歴史を持つ古都で、アメリカ合衆国に現存する都市としてはフロリダ州 セントオーガスティン (1565年 創設)に次いで古い。アメリカの宝石 と呼ばれ、歴史的な街並みや建築物を残し、独特の食文化を持つ観光都市 として栄えている。また、同市は芸術家が多く住み、美術品にあふれ、音楽祭や工芸祭が開かれる、芸術の町としても知られている。市名はスペイン語で「聖なる信仰」という意味。正式な名称はラ・ビヤ・レアル・デ・ラ・サンタ・フェ・デ・サン・フランシスコ・デ・アシス(La Villa Real de la Santa Fé de San Francisco de Asís)といい、これは日本語では「アッシジのフランチェスコ の聖なる信仰に忠実な王都」という意味になる。更に詳しい情報はウィキペディアをお読みください。



聖フランシス大聖堂

Cathedral Basilica of St. Francis of Assisi


ランチの後に目指したのは、プラザの近くにある「聖フランシス大聖堂」。英名は Cathedral Basilica of St. Francis of Assisi といい、アッシジの聖フランシスのバシリカ大聖堂ということになります。


アッシジの聖フランシスというのは、1181/1182年生まれで1226年に亡くなったカソリックの修道士であり、伝道者です。


彼は、フランシスコ会の勲位を創立し、聖クレアの女性の勲位の創立、そして、聖フランシス第三会の制定を援助した方です。


1228年にポーブ・グレゴリーIXによって聖者として承認されました。


聖フランシスは動物と環境の聖なる保護者として知られ、シエナのキャサリーンと共にイタリアのパトロンでもあります。


またカトリックならびにアングリカン教会では動物のブレッシングを10月の4日に行う習慣があります。


現在、聖フランシスは、歴史の中で最も崇拝された宗教的な人物のうちの1人とされています。


この教会はロマネスク・リヴァイヴァル様式だそうで、1869年から1886年にかけて建立された教会です。


入場料は無料でした。



こちらが聖フランシスの銅像。



こちらは教会の前に立っているアメリカ北部インディアンで初めてキリスト教に改宗した女性、カテリ・テカクウィサ。


彼女はニューヨーク州のモーホーク・アッルゴニアンの女性で、若い時にキリスト教に改宗し「祝福を受けたカテリ」として知られているそうです。

ネイティブというのは元々はアミニズムで自然崇拝ですから、その生活から、一神教のキリスト教に改宗してしまうというのは、一体どういう経緯だったのかちょっと興味あります。



そんなに巨大な教会ではないですが、まぁまぁ広く、中の波動は気持ちよかったです。

聖フランシス大聖堂が1869年から1886年にかけて建立され、ホノルルの聖アンドリューはフランチ・ゴシック様式で、カメハメハ5世によって1867年に布石が打たれていますから、ほぼ同時期に建立されていることになります。


ホノルルの聖アンドリュー大聖堂やユニオン大聖堂などに比べると、かなり小さく、ステンドグラスは聖アンドリューの方が壮大です。


しかし様式的には聖フランシスの方が極めが細かいと思いました。


細部まで美しく建立してある感じです。


波動的にはこちらの方が気持ち良いというか、建立されている場所自体が波動の高い土地ですから、ホノルルの教会と比べるのもナンセンスな話しかも知れません。



ステンドグラスから漏れる様々な光が波動を細やかに保つのを手助けしています。



この教会の内部は、場所によってカナリ波動の質が違うのが分かる感じです。 全体的には良い感じなのですが、ある場所は、さらに波動が細かく、密度が高い感じを受けました。



こちらが玄関から奥に向かった場所にある15人の聖者のイコン。



こちらが奥から玄関側を写したもの。



こちらは奥の右手にある別の部屋。


ここは美しい建築だし、波動も良かったので行って良かったと思います。



ロレット・チャペル

Our Lady of Light Chapel



聖フランシス大聖堂の次に行ったのが、ロレット・チャペルという更に小さい教会です。


元々はローマン・カソリックの教会だったのですが、現在は博物館、そして結婚式用の教会として生き残っています。


1872年にサンタフェ大監督管区の司教だったジーン・バプティステ・ラミー氏が、元々あった修道院の教会を「 Our Lady of Light Chapel」 (私たちのレディーのための教会)という名前に変遷するように指示をだしました。


そしてこの教会はロレットの修道女たちが管理することになります。 



チャペルは、ゴシック・リバイバル様式で、フランスの建築家アントワン・ムリー氏によって設計されました。


細く尖った尖塔を完備して、バトレスと呼ばれる建物の壁を外方から支持する出っ張り構造の支えと、ステンドグラス・ウインドウはフランスから輸入されました。


教会はとても小さなスケールで築き上げられました。 フランスのパリにある「聖女のチャペル」を模しているのは明らかだそうです。



こちらが教会への入り口で、ここは教会によって売却され、個人所有の建物になってしまっているので入場料が必要。



こちらが大聖堂の中。

そしてこの教会の中にあるのが、現在の建築学では有り得ない構造を持っている「奇跡の階段」と呼ばれる螺旋階段です


この奇跡の階段に関する発端は、この教会が建設されている間に、建築家が突然死してしまうという事件が起きたことに始まりました。



その建築家の死は教会がおおよそ建立された頃の出来事で、建設に関わった大工達は聖歌隊席に登るための階段が必要であると気づきます。


しかし教会自体の大きさが非常に小さいために、普通の階段では大き過ぎてしまうという問題が浮き上がってきました。


当時の教会は聖歌隊席に登るために梯子を使っていた場合が多々あり、大きく不釣り合いな階段ではなく、梯子を使えば良いのではないかと修道女たちに示唆されました。


しかし修道女たちは生活の中で着用している裾の長い服で梯子を上り降りするということを受け入れることができなかったのです。



二階の聖歌隊席に登るための何かしらの方法が必要なことから、修道女は聖ジョセフに向かって、9日間のあいだ連続しして祈りを捧げ、何とか助けてくれるように祈願しました。


すると、9日間の祈りが終えたその翌日に、粗末な格好の見知らぬ大工が教会のドアに現れました。


その大工は自分が螺旋階段を造ってあげると修道女に言ったのです。


しかし、その条件として完全なプライバシーを要求し、それから三ヶ月の間に渡って教会に閉じこもりっきりで作業を行います。



その大工が使っていた道具は数少なく、直角定規と、のこぎり、そして若干の温水だけだったそうです。


そして螺旋階段は現地に生息している木ではない素材が使われています。


階段そのものは鉄の釘などは一切使われてなく、その全ては木製の釘で打たれています。



螺旋階段の建設が終ると、その身元も知られぬまま大工はすぐに教会から立ち去ってしまいます。



この螺旋階段は聖歌隊席まで20フィートの階段を登り、下から上までは小さな正円を二回描くようにデザインされています。



この名も知れない大工が造った螺旋階段が奇跡だと言われるのは、その中心に何の支えもなく、その周囲の壁などにも接続して支えられていない部分です。


後の建設されてから10年後の1887年には手すりが加えられ、外側の壁に固定されています。 これは建築学的にはありえない構造なのだそうです。


この教会は何故か懐かしい感じがしました。


過去生の記憶的な感じではなかったのですが、何故か落ち着くというか、何かを思い出させる感じだったのです。


もしかするとフランスのパリにある本物の方が過去生に関係しているのかも知れません・・・。

そしてなぜか教会の大聖堂の中ではなく、隣接されているお土産コーナーで強烈なデジャブも体験してしまいました。


そこには聖水のボトルが山積みになっていたのですが、それを眺めていたら、記憶がある感じのデジャブが来たんです。


サンタフェ自体が初めての訪問なのに、何故か来たことがあると思ってしまった不思議体験しました・・・。

あの聖水を買っておけば良かったです・・・。


サンタフェの帰り道


さてサンタフェ1日目の終わりです。


アルバカーキから列車で二時間ですから、夕方までに帰ろうと思うと3時30頃には観光を終ってないといけないんですね。


ということで1日目の主要な観光地は見てまわったので、そのまま駅まで歩いて戻りました。



風邪という問題がなければ、もう数時間くらいいても良かったと思いますが、何ぶん身体が資本なので、こういう場合はサッサと引き上げるのが懸命です。



↑光りが美しかった枯れ葉の木

サンタフェに関しては前もって何かを調べていたわけではなく、どこか絶対に行っておきたい場所があるかと言われたら、ジョージア・オキーフの作品を集めた美術館くらいなので、そんなに執着はなかったんです。


さらに1日目にもジョージア・オキーフ美術館に行くというアイデアも寒さのためにぶっ飛んでしまい、帰るまで気になりませんでした。



↑こういう風景も奇麗だと思いました。

とにかく神様ハンズは風邪で人間ではない状態なので、明日は家でゆっくりしていただき、自分一人で再びサンタフェに来ようと思った訳です。



↑川岸で枯れていた草でも奇麗に見えました。

今回の目的はロズウェルとトリニティーに行くことだけだったので、その他のことは執着無かったんです。


これが事前に行きたい場所をリストアップしていて、スケジュールがガチガチだったら残念な結果に終っていたでしょう。


せっかく来たし、次は一体いつ来れるのか分からないから、存分に満喫しようと考えるのが普通なのかも知れませんけど、私の場合はそういう感覚がそんなに無いのでスルーしちゃうんです。


また次に機会に来てゆっくり堪能すれば良いや・・・・的なノリなんです。



過去に行ったことの無い場所というのは、勝手が分からないというのもありますが、大抵の場合は一回行ったくらいでは深いところで繋がれない場合が多いので、二回目、三回目を鼻から考えていた方が焦らなくて良いという利点もあります。

パワスポ旅行なんかの際に、次はいつ来れるか分からないから・・・と考える方は多いと思います。


ハワイに遊びに来る人たちでも同じですね。


「次はいつ来れるか分からないから・・・」


この思考の働きが、次の訪問の可能性を薄くしてしまうんです。


ですから何処かとても気に入った場所を見つけたら「またスグ来るからね!」と行ってその土地から離れた方が、スンナリ戻ってこれるんです。



↑こういう風景はかなり西部劇的な眺めですね。

サンタフェはアメリカの宝石と呼ばれるくらい、その美しさが認められている街です。

個人的にサンタフェという街が今のわたしにとってどれだけ魅力的だったかと聞かれたら・・・異常に寒くて、奇麗でアーティな街でした・・・という感想になります。



この街に行くなら初夏か秋頃がベストでしょう。スキーとか、スノーボードが好きなら冬場でも大丈夫でしょう。


▶︎2日目へ続く

☆「覚醒」には様々な段階・ステップがある

☆覚醒に近づくための第一歩は考え方

☆覚醒を通じて変わるのは脳のマッピングとワイヤリング

☆「考える」と「覚える」は違うこと

☆考え方と脳ストレス

☆覚醒エクササイズの基本

☆脳支配ってなんですか?

☆脳習性を組み替え新習性を育てる


☆「覚醒」には様々な段階・ステップがある・2017/01/28


2016年10月末から始まった新次元のアセンションシンドロームはまだまだ継続中ですが、その中でもっとも驚異的だったのは、自分の中身が巨大に変わってしまった部分です。


以前の記事でも書きましたが、わたしはビヘイヴィアーアクティベーション:行動療法とコグニティブ・アクティベーション:認識活性化療法というのに挑戦しています。


それはミドルエイジ・クライシス=ニューロ・ジェネシスのステージを乗り越えるため。


ニューロ・ジェネシスというのは、人間だれでも50歳に到達すると、脳の一部であるヒポキャンパス:海馬という部位が一度死んで新しく再生し始めるという生理学的なものです。

海馬(かいば: hippocampus)

大脳辺縁系の一部で特徴的な層構造を持ち、記憶や空間学習能力に関わる脳の器官のことで、脳の中で最も研究の進んでいる部位です。


長期にわたって心理的なストレスを間受け続けるとコルチゾールが分泌され、それによって海馬の神経細胞が破壊され萎縮します。


コルチゾール(Cortisol)とは、ヒドロコルチゾン (hydrocortisone) とも呼ばれ、副腎皮質ホルモンである糖質コルチコイドの一種。


生体にとって必須のホルモンで、炭水化物、脂肪、およびタンパク代謝を制御します。


糖質コルチコイドは3種あり、コルチゾールはその中で最も生体内での量が多く、糖質コルチコイド活性の約95%はこれによるもの。


コルチゾールはストレスによっても発散されます。


過剰なストレスによってコルチゾールが多量に分泌されると海馬を萎縮させることが、PTSD患者の脳のMRIなどで観察されています。


分泌されるコルチゾールの量によっては、血圧や血糖レベルが高くなり、免疫機能の低下や不妊をもたらします。


心的外傷後ストレス障害(PTSD)

うつ病患者には、記憶形態に深く関わる海馬の萎縮が確認され、それは生化学的後遺症のひとつとされています。


アルツハイマー病では最初の病変部位が海馬に起きることも知られています。


海馬に異変が起きると、記憶と認識の両方に強い影響が現れるわけです。


ニューロジェネシスの場合は、海馬そのものが再生する過程で萎縮し始めるので、うつ病的な症状が現れるわけです。


また脳内ホルモンの一つであるβエンドルフィンが分泌されたり、A10神経が活性化すると、海馬における長期記憶が増強すると解説されています。

簡単に書くと脳の一部である海馬のコンディション変化によって、アルツハイマーに顕著な記憶と認識の変化、そして鬱に顕著な感情の浮き沈みが現れやすくなるのです。


これらの医学的・生理学的な観点は「覚醒の行で覚醒できない理由」にも巨大に関係しています。


「覚醒」は脳の状態と機能が密接に関係しているので、この部分を度外視して「覚醒」は語れません。


この「覚醒」という言葉もカナリ曖昧性が高いものなので、人によって「覚醒」に対する理解や見解が違うと思います。


アメリカでは「アゥエイクニング:目覚め」という言葉が頻繁に使われますが、この言葉も「覚醒」と同じように曖昧さがつきまといます。


どこからどこまでを指して「覚醒」または「目覚め」と呼ぶのか?


これは経験した人だと、その体験を通じてなんとなく定義できます。


しかし経験したことがない人たちは想像の域を出ないので、皆目見当もつかない世界観に映るでしょう。


「覚醒」には様々な段階・ステップがあります。


個人的には数え切れない程のスピリチュアルな体験、そして覚醒の体験もしていますが、次から次に新次元の覚醒体験が起き続けると、いったいこの先にどんな「覚醒体験」が待っているのか? と考えてしまいます。


では覚醒の初期段階から書いてみましょう。


「覚醒」の基本的な部分で大きな位置を占めるのが「認識」の領域です。


この「認識」という言葉もカナリ曖昧ですが、認識には様々な幅と奥行きがあります。


例えばサイキッックまたは霊的な能力ですが、これも認識と切り離せないものです。


サイキックや霊能者は、一般の人々とは少し違った「認識」の機能が働いています。


物事を捉える際に、一般的な人たちとは違った認識機能が働いているわけです。


サイキックな認識機能にも様々な種類があり、クレアヴィヤンスや、クレアコグニザンス、クレアセンチエンスなどと、感覚機能の発達とその状態によって趣が違います。


サイキックな感覚が成長している人たちと、そうでない人たちを比べた時に、肉体の構造的にはホボ変わりません。


違いを生んでいるのは「認識する時の演算の行われ方と、認識の機能状態」です。


基本的には誰でも同じOS機能がインストールされていますが、どれだけアップグレードされているかによって機能性に違いが生まれてしまうようなものです。


これらのファクターと関連して大きな違いを生んでいるのが、肉体そのものの状態です。


覚醒に関しては、肉体的+エネルギー的なコンディションが大きな位置を占めるようです。


肉体的な状態が理想的であればあるほど、その可能性は高くなるでしょう。


それに付随してエネルギー的な状態と、その質の状態によっても大差が生まれると思います。


肉体的な状態に至っては、肉体そのものがどれだけダメージを受けているか、どれだけストレスを抱えているか、どんな器官や部位に損傷や病状があるかによっても個体差が現れるでしょう。


まずは自分の体を可能な限り理想的な状態に引き上げましょう。


・骨格と筋肉の癖を修正する。これはヨガが最も妥当だと思います。筋肉を柔らかく・伸ばして気の巡りの循環をよくしましょう。

・姿勢を正しく維持する


・理想的な食生活で生きる


・気の流れ・経絡の状態を引き上げる。

まずはここいら辺から始めるのがよいと思います。

トドのつまり日常生活の中からシッカリと理想的な状態に変えていくということ。


次は考え方です。


次は「考え方」と「思考回路」について書いてみます。



☆覚醒に近づくための第一歩は考え方・2017/02/10


覚醒に近づくための大きなターニングポイントになるのが「考え方」です。

考え方と書くと少しわかりにくいので具体的に書いてみます。

考え方というのは基本的に方程式です。

この方程式は一人ひとり個性的なもので、100人いれば100人の考え方があります。

同じ状況を100人の人が経験したら、それぞれの内面的な経験は全く同じ状況にありますが、全く同じ体験にはなりません。

100人それぞれが独自の体験をします。

では何が違いなのか?

状況に対する「認識のあり方」とそれに基づく「思考回路」です。

人それぞれ状況をどう認識するかは違います。

思考回路は認識法則の上を走っているので、認識の法則が変わると、思考の走り方=思考回路の法則も変化します。

覚醒に近づくための第一歩は、自分の認識の習性を客観的に観察することです。

自分の考え方の方向性や方程式を客観的に捉えるよう意識してみてください。

自分が状況・自分以外の人・自分そのものをどういう風に認識しているのかチェックしてみましょう。

これは反省しろということではなく、単純に自分が物事をどのような習慣的な視点・または考え方で捉えているのか客観的に眺めてくださいということです。

自分の視点がどういうものなのかを知ってみてください。

ここが覚醒に近づくための巨大なポイントの一つです。

なんで重要なのか?

覚醒体験にも様々な種類やステージがあります。

では目覚める体験を通じて変わるのは何だと思いますか?

最も巨大なインパクトが起きるのは「世界観」「価値観」「信条」などです。

では目覚めの体験を通じた「世界観」「価値観」「信条」などが大きく変わってしまうのは、どこを基盤または基本にしているのでしょう?

目覚めの体験を通じて変わるのは「認識」です。

世界を捉える際に働く認識の法則が大きく変わってしまいます。

単純に書いてしまうと、前は苦手だった何かが平気になる、好きになれるという具合です。

昔とは違った認識の方程式で世界を体験するようになるので、世界観は巨大に変わります。

しかし世界そのもは変わっていません。

変わったのは私の中身、私の中の世界観・価値観・認識のあり方・現実の濃さ・理解の深さが変わっただけです。



☆覚醒を通じて変わるのは脳のマッピングとワイヤリング

では、どうすれば自分の中の認識の方程式を覚醒にマッチした波動域+周波域へシフトさせられるのか?

簡単に書いてしまいます。

頭の中を整理整頓し、最も理想的であると考えられる構造に再教育・再構築してください。

覚醒を通じて変わるのは脳のマッピングとワイヤリングです。

「認識そのものと、そに基づいている思考回路とその構図・思考の道筋」が変わります。

端的に書いて「覚醒」というのは「脳の状態」「脳の構造」「脳の機能」=「脳の仕組み」に大きく関係します。

では「脳の仕組み」だけが覚醒に関係するのかといえば、その他にも数多くのファクターが肉体構造的な部分・肉体生理学と絡んでいます。

この部分は段階的に書き進めてみたいと思います。


スピリチュアルな世界観に興味がある人たちの多くは、その神秘性に対して大きな重みを置いているようにみえます。

その代表的なものが「神秘体験」「スピリチュアル体験」です。

その中に「覚醒体験」というのも含まれています。

これらの「神秘体験」「スピリチュアル体験」「覚醒体験」というものが、一体どういうものなのかを考えてみましょう。

多くの人たちはこれらの「神秘体験」「スピリチュアル体験」「覚醒体験」というものを「人智を超えている・人間的な体験を超越している」と捉えているように見えます。

昔のわたしはそういう風に捉えていました。

体験したけど訳が分からない・・・困

端的に書くと「自分の理解の範囲を超えているけれど、なぜかいろんな人の生活の中で起きている」

ここが「神秘的・スピリチュアル」と直結してしまうようです。

中にはそれらを「神がかりな体験」と定義してしまう人も多々います。

世の中の大多数は「神秘体験」「スピリチュアル体験」「覚醒体験」という世界をトテモ曖昧にしか理解していません。

その巨大な理由は「理解できないから」「科学的・医学的・論理的に説明できないから」

では実際にはどうなのでしょう?

私は個人的に神秘体験やスピリチュアル体験に関しては人生の半分はそれらのオンパレードなので、例を書き出したら止まらないくらいです。

しかし世の中の大多数の人たちはそうではないので、私の世界観を理解するのは難しいと思います。

その理由は自分に同じような経験が起きてないから。

私は今まで、どうして自分の感性やそれに基づいている経験がその他の人たちと巨大に違うのか考え続けてきました。

肉体の構造としては基本的には同じであるにも関わらす、この違いは一体なんなんですか?

生理学的にはホボ同じ構造なのに、どうして違っているのか?

何が違いを生んでいるのか?

私とその他に人たちとの違いは「認識」の違いだけです。

感覚機能が違うのでは? と考える人もいると思います。

では私の感覚機能とその他の人たちの感覚機能がどれだけ違うのか?

生理学的には同じです。

わたしやその他のサイキックや霊能者たちは感覚機能の働き方が違うわけですが、では何がその違いを生んでいるのか?

感覚機能の繊細さに関しては、私の場合はコンシャス・スフィアの全体、コーザル体、エーテル体からメンタル体・感情体・それに呼応している中枢神経やら神経伝達物質のフォーミュラなどが数え切れないほどアップデートされているので、この部分には巨大な違いがあると思います。

サイキックや霊能者・メディアムの方々は、多角的に何かが開発されている、または、スイッチがオンになっています。

こういう風に書くと差が大きいように思えるかもしれませんネ・・・。

まか〜ウラさんやサイキック・霊能者の人たちと自分は巨大に違うのね・・・困

まず上記のような認識の法則を変えてください。

なぜなら能力者たちは単なる参照ポイント、参考だからです。

そして世の中には参考または参照できる方々が数え切れないほどいらっしゃいます。

それらの人たちと自分に違いを見過ぎない・違うと認識せず、基本的には同じ構造だから、自分も同じ段階へ進めると覚えなおしましょう。

自分の中に可能性を見出さないか、自分の中に可能性を見出してそれを追求して進み続けるかの違いです。

「神秘体験」「スピリチュアル体験」「覚醒体験」というものは、基本的に認識の違いの上に起きているものです。

私の場合は、普通の人たちとは違った認識の方程式が働いています。

認識というのは、何をどう覚えたか・どういう風に考え続けたかによって認識の法則=思考回路が組み変わります。

例えば一般的に体の外には何も存在しないと認識し考えていると思いますが、私の場合は体の外には何かが存在していると認識し、考え、それを確認します。

これが違いです。

人間という存在は、肉体的な領域だけではなく、その他の領域にも同時に存在しているというのが私の認識です。

単純に書くと「目で見えない世界は存在しない」と覚えている・信じているか、目で見えなくても何かが存在している」と覚え・それが普遍的な考え方になっているかの違いのようなものです。

神秘体験や覚醒体験を経験している人たちと、そうでない人たちの違いのダイナミクスは認識の違いの他にも、目に見えない世界からの干渉も含まれます。


しかしこの部分は考えすぎない方がよいと思います。

なぜなら、認識のあり方が変わると、目に見えない世界からの働きかけが変わるからです。

自分が変われば体験する世界観が変わるからです。

最も重要なのは、自分で自分自身を変化させられる、トランスフォーメーションさせることが可能だということを知ることです。

自分で自分自身をデザインできると覚えましょう。

自分自身を理想的な姿にデザインし直す、作り直すというアイデアが重要なのです。

今の自分にあぐらをかいて鎮座せず、自分を万華鏡的に磨き上げ続ける、意識を上昇させつづける、意識を開き続けましょう。

「到達できない」ではなく「到達できる」または「到達したい」と認識し直す、覚えなおしましょう。

アセンションに関しても「アセンション? わからないわ、できたらいいけど・・・」という具合ではなく「アセンションしたい」または「アセンションできる」と覚えましょう。


☆「考える」と「覚える」は違うこと


「考える」と「覚える」は似ていますが違います。

「考え」は、無意識的であれ意識的であれ「覚えたこと」を基盤にしたものです。

子供の頃に九九を丸暗記しなければ暗算できないのと同じこと。

算盤の使い方を覚えなければソロバンを使って計算できないのと同じ。

物事を自分の中にどうインプットし続けるか・覚えさせるかによって、それを基盤にした考えが生まれます。

どうせインプットするのであれば、理想的なものをインプットする・覚えるのがよいわけです。

自分に「嫌い」や「怖い」または「違い」をインプットし続けるか、「好きになれる」「好きになりたい」「安心」「みんな同じ」をインプットし続け、それを覚えこむかで方向性は変わります。

自分に何を学ばせるか、自分に何を新しく覚えさせるか、その際にどのような世界観や価値観、視点が最も理想的なのかを思索し、参照できる・参考にできる何かを探し始めましょう。

いまの自分の中にないものをインプットする時に大切なのは、インプットする情報が理想的なものか、明快なものか? 明確なものか? 自分を成長させることに結びつくものか? 自分を今より拡大できるものか? などを吟味しましょう。

自分を小さくする、自分を重くする、世界を狭くする類のものではなく、自分を大きくし、自分を軽くて微細な振動へ引き上げ、世界を広げる類のものを意識し、それを覚えましょう。

「覚えたことを基盤にして考えが走る・思考回路が働く」ことを覚えてください。

「覚えたこと・記憶・インプットを基盤にして考えが走る・思考回路が働く」というのは大脳生理学的なリサーチで明確になっています。


☆思考回路は脳内を走る思考エネルギーの道筋のこと


思考回路というのは脳内を走る思考エネルギーの道筋のことです。

また思考回路は同じ道筋を走り続ける・同じ考え方の法則が利用されればされるほど強化されていきます。

この部分は「意識の覚醒」に関して最も重要な部分なので、シッカリ勉強した方がよいです。

覚醒に魅かれるのは、今の自分よりも、より目覚めている、より拡大している、より深い認識と理解の世界へ進みたいということです。

今の自分が終着点ではなく、違った姿の自分に変化したいという動機があるということです。

単純に書くと「変化したい」という欲求を明確に認識しているわけです。

さもなければ「覚醒したい」などとは思わないでしょう?

「変化したい」という欲求が存在しなければ「意識を目覚めさせたい」「覚醒したい」「自分の中のET意識を目覚めさせたい」とは考えないでしょう?

では、どうすれば自分を変化させることができるのか?

・自分で自分自身を再教育する


・再構築する


・リデザインする


・リインヴェント:再開発する作業へ進みましょう。

自分が求めている自分になれるように、新しい何かを学ぶ・覚える・練習する・トレーニングし続けましょう。

この段階で大切なのは、ちゃんと多角的にリサーチすること。

今の思考回路は今までの認識の法則の上で走っているので、そこからひっくり返すのが最も近道です。

なぜ自分自身の認識の法則と思考回路の習性を理解することが覚醒に向けて重要なのか?

思考回路の発達具合によっては思考プロセスそのもので膨大なエネルギーが無駄に消費されるます。

思考回路が迷走する傾向が強ければ強いほど、脳そのものがストレスな状態になります。

脳が気持ち良く幸せな状態にあればあるほど、性格から感情そして考え方も幸せで気持ちfが良く、前向きで、そして革新的・創造的・直感的になります。

その反対で脳が不幸せな状態にあると、考え方や感情は浮き沈みが激しくなったり、イライラや憤りが頻繁だったり、感情的にも落ちやすくなり、上がったり下がったりする傾向が強くなります。

脳が不幸せというのは、基本的に脳そのもがストレスを抱えている状態です。

自分の認識の法則・思考回路の習性・癖がネガティブ傾向であればあるほど脳はストレスを生じさせます。

脳がストレス=鬱な状態にあればあるほど意識の覚醒は挑戦的になります。


では脳がストレスになる状態は、認識の法則と思考回路の習性の他に、どういう項目が含まれているのでしょう?

それには栄養的な項目から、酸素の伝達具合、首筋・肩・頭蓋に関係する筋肉的なコンディション、そして脳内を満たしている髄液の動き、そして免疫機能の具合などがあげられます。

近年ようやく脳の中にリンパ腺が存在することが明らかになりました。

客観的に考えると、リンパ腺は身体中に張り巡っているので、脳の中にあっても当然なわですが、なかなか発見されませんでした。

リンパ腺が腫れている状態の時は体が何かと戦っている状態です。

そして脳の中も全く同じように、クリーンであればあるほど幸せな状態を保てます。

脳の中が鬱積した状態にあると、頭の中から体が鬱積したような感じになり、幸せな状態から程遠くなります。

脳のコンデションいかんによって人間の感情やメンタルな趣き、記憶、認識のしかたなどが大きな影響を受けます。

ここまでが基本です。


☆考え方と脳ストレス


次の要点は脳の状態に加えて、私たちのメンタルな領域・考え方がいかに脳にストレスを与えているかという内容です。

考え方が脳にストレスを与えるんですか?

ハイ☆

大脳生理学的に考え方は脳にストレスを与えます

ポジティブな考え方とネガティブな考え方、どちらも脳に何かしらの影響を与えています。

最も理想的なのは中庸な考え方です。

ここに関係するのが「判断・ジャッジメント」です。

判断というのを深く考えてみましょう。

判断する時に使われるのがメンタルなエネルギーです。

例えば目の前にリンゴがあるとします。

Aさんは「リンゴは美味しいわね」と考えました。

Bさんは「リンゴは好きじゃない」と考えました。

Cさんは「これはリンゴ」と考えました。

この三つの反応の中で最も中庸なのはCさんです。

なぜなら目の前にあるのはリンゴだから。

Aさんの「美味しい」とBさんの「好きじゃない」はどちらともリンゴに対する個人的な判断、リンゴ+アルファーな方程式です。

AさんとBさんは、単に目の前にリンゴがあることを基にして、その先に自分の気持ちを付け加えています。

これは最もシンプルな例ですが、私たちのメンタリティーは一つのものに対して様々な色付け、または情報を追加する傾向が強くあります。

では次に「考え方」について書いてみます。

考え方は人によって違います。

Aさん「リンゴは美味しいわね」

Bさん「リンゴは好きじゃない」

Cさん「これはリンゴ」

上記は考え方のヴァリエーションで三人とも全く同じ考え方ではありません。

「考え方」というのは「方程式」です。

「考え方の方程式」は人によって違います。

Aさん方程式:リンゴ+美味しい

Bさん方程式:リンゴ+好きじゃない

Cさん方程式:リンゴ


考え方の方程式というのは連鎖的な思考の動きに関係します。

思考の進み方は考え方の方程式の上を走ります。

考え方の方程式で進んでいくのが思考の道筋です。

大脳生理学的なリサーチでは「思考には道筋がある」という研究結果がでています。

この「思考の道筋」は人によって違います。

簡単に基本的に3つの思考の道筋があるとします。

①ポジティブな思考の道筋

②ネガティブな思考の道筋

③中庸な思考の道筋

上記の3つの中で最もシンプルなのが③中庸な思考です。

③中庸な思考(リンゴだけ)に比べると、①ポジティブな思考の道筋(美味しい) & ②ネガティブな思考(好きじゃない)の道筋は判断が追加されています。

中庸な思考にバイアスが付加されています。

思考の道筋がシンプルであればあるほど、脳のバイアスが軽く、思考の道筋が複雑で迷走すればするほど脳にバイアスが加わり続けます。

意識の覚醒に対しても同じ法則が当てはまります。

覚えた情報・学んだこと・読んだ内容などが、自分の認識の法則と思考回路の習性の中でどのように処理されるかによって、行き着く先が変わります。

自分の認識の法則と思考回路の習性そのものが「意識の覚醒」に関するアイデア・価値観・視野・考え方などをスムーズに処理できなければ、衝突やオーヴァーロードが起きやすくなり、「意識の覚醒」へたどり着くのは遠くなります。

認識の法則と思考回路の習性=「思い込み:潜在意識・深層意識・コアビリーヴ」が「意識の覚醒」への道のりを阻止しているということです。

ここが理解できると覚醒への道のりは縮ります☆

なんで近くなるのか?

思考エネルギーが迷走的にループせず、無駄なエネルギー消費が減るからです。

考えすぎると頭が痛くなります。

思考回路の道筋がシンプル化されると、脳そのもののエネルギー使用率が高まるのです。


なんども書きますが、思考回路の道筋は、認識の法則に基づいています。

認識の法則は、なにをどう覚えたかによって変わります。

認識の法則と思考回路の習性=「思い込み:潜在意識・深層意識・コアビリーヴ」を変えるにはどうればよいのでしょう?

認識の法則と思考回路の習性を、新しく作り直すのです。

ではどうすれば新しい認識の法則と思考回路の習性を育てることができるのか?

・記憶させ直す


・覚え直す


・再インプットする


これらを実践し始めましょう。

この部分はスピリチュアル云々の世界ではなく、脳の構造と機能・習性です。


☆覚醒エクササイズの基本・2017/02/14


世の中には様々なスピリチュアル覚醒を目指すためのエクササイズが多々あります。

最も知られているのがクンダリーニ・ヨガ

その他にも修験・禅・瞑想・業・気功・太極拳など世界各地にいろんな方向性のエクササイズがあります。

基本的な共通点は以下のようなものです。

・体を開く

・エネルギー代謝を高める

・エネルギーというものを知る

・エネルギーの特性を理解して使いこなせるようになる

・波動の密度を上昇させる

・波動の周波数を高める

・集中力を向上させる

・持続力を向上させる

・マインドの力を向上させる

・自分のマインドをトレーニングする

これらのエクササイズはグループに属さなくても誰でもどこでも可能な類のものです。

何かしらのグループに属して集団でエクササイズを一緒に行うのは、一人だと彷徨いやすいからだと思います。

・どこから始めればよいのか知りたい

・どこを目指せばよいのか知りたい

・どういう段階を追って行けば良いのか知りたい

・経験者たちから学びたい

・どういう風に変化するのか知りたい

何かわからずに一人で何かを始めようとする場合、自分が挑戦しているもを知らないことがハードルを高くします。

なので一般的にはスクールに入る選択をします。

スクールに入ってしまえば、その中のカリキュラムによってお勉強や訓練が進んでいくので、試行錯誤するよりトテモ楽に進んでいく感じがします。

お菓子造りのプロになりたい場合、その専門学校へ入って学ぶ、または、有名な職人の元に修行に入るという選択肢になるでしょう。

では覚醒を目指す学校に入ったら覚醒できるのか?

これは挑戦してみなければわかりませんネ。

第一にそんな学校があるものなのか?

スピ系学校にもミステリースクールから各種ヒーリングスクール、能力開発、瞑想マスタリーなどと様々な種類がありますが、「覚醒を目指す」スクールはあっても「覚醒できる」学校は聞いたことありません。

ここに行って学べば絶対に覚醒できますという学校は存在しないのかもしれません。

最も近い道のりは、覚醒体験者の方々にいろいろと聞くことかもしれません。

彼らがいったいどういうエクササイズをしたのか?

どういう部分がポイントなのか?

食事から肉体的なエクササイズ、瞑想法、読んだ本、精神的なエクササイズ、旅行した場所、師事してきた先生やマスターなど。

どこから始めるかはそれぞれの方向性によって違うでしょう。

基本的にはどこから始めても大差ないと思います。

違いが生まれるのは以下の項目


・どこまで精進できるか?

・どこまでスムーズに先に進めるか?

スムーズに先に進むためには復習・予習なども必須項目です。

ただ成り行き任せに進んでも、それなりに進むと思いますが、どうせ進むなら彷徨わず、最短距離で進むのが理想的。

また間違いを犯すのを恐れずに、失敗は成功の元と思って、なんでも挑戦してみること。

挑戦して超えられない場合は、そこに何かしらの原因があるわけですから、それを探ること。

体験そのものが叡智につながるので、進んで自分を新しい体験、新しい考え方、理想的なアイデアなどに触れさせ、それを覚えていくことでしょう。

これらを書いていて思ったのは、今までの教えの延長線上的に書き進めても、さほど大差は生まれないと思うので、もっと斬新な方向性で改めて挑戦してみます。


☆脳支配ってなんですか?2017/11/14


今回はどういう風にして覚醒が起きるかを書いてみます。

覚醒体験にも様々な趣きと段階がありますが、今回は昨年のライトボディー第9段階の経験を元にして書いてみます。

基本的に「覚醒」体験というのは、トテモ肉体的なものです。

簡単に書いて、人間の肉体が「覚醒体験」を作り出します。

頭の中だけで起きるものでも、感情レベルだけで起きるものでも、スピリチュアルレベルだけで起きるものでもありません。

肉体+エーテル体+各種波動体:ライトボディーと連動した「全体」を通じた体験です。

全ての領域で起きるとしか書きようがありません。

経験してない方は想像しにくいと思いますが、まさしく生理学的な領域のものです。


ライトボディー第9段階のゴールは「認識機能全体のリセット」です。

私たちの認識機能は脳の思考回路だけではありません。

私たちは全体性を通じて様々な認識を行っています。

その核になっているのが脳です。

脳は肉体から感情、そして思考までも多角的にコントロールしています。

ハッキリ書いて脳がその人をコントロールしていると書いても過言ではありません。

これを脳支配と呼ぶことにします。

脳がその人の人格・性格・習性・考え方・感情・性癖・習癖なども支配しています。

自分が自分自身の脳に支配されているなんて信じ難いと思う人がほとんどでしょう(笑)

でも実際にそうなのです。

簡単な例で書いてみます。

何かを勉強するときに、物事を覚えなければいけないので一生懸命に勉強するのですが、なかなか頭の中に入ってこない・・・。

覚えたくても憶えられない・・・。

頭の中で理論的にわかっていても、実際に行動できない。

今の自分を変えたいと努力し続けても、なかなか自分の頭の中のゴールに近づけない。

考え方を変えようと努力しても、思い通りに変わらない・・・。

上記のようなことは全て脳の構造と機能に関係し、主にその人の「認識回路+思考回路」に関係するものです。

これが脳支配の基本です。

人間の思考回路は人それぞれ独自の複雑さを持っています。

ハード=脳は同じですが、走っているソフトウェア=認識+思考回路のプログラム内容が多岐に渡って違うということです。

ある人はとてもポジティブ

ある人はいつもネガティブ

ある人はイライラするのが常で、ある人はいつも悲しい

ある人は常に悲観的

ある人は軽はずみな行動をする傾向がある

ある人は超人的に頭がスマート

ある人はとても冷酷

ある人は思いやりが深い

これらの人間性のヴァリエーションが生まれているのはどうしてでしょう?

肉体的には基本的には同じ構造です。

違っているのは人間の中身。

では何が違いを生んでいるのでしょうか?

人それぞれで考え方や行動・言動・知性・理性などが違うわけですが、どうして違いが生まれるのでしょう?

これに関連するのが「認識機能:コグニティブ・ファンクション」です。

現在の大脳生理学の観点では、顕在意識でコントロールできるのは全体の約5パーセント。

残りの95パーセントは潜在意識下の領域で行われると説いています。

顕在意識に関係するのが前脳=約5%

残りは潜在意識=脳支配の領域=約95%

変わりたくても変わりにくいのはそのためです。

顕在意識が自分を変えたいと思っても、95%を支配している潜在意識の領域が変わることを許さないわけです。

ではどうすれば5%ほどの支配力しかない顕在意識で95%近くの潜在意識の領域を変えることができるのでしょう?

これは人間の全体的な構造を深く知るのが早道です。

脳は基本的に記憶+習性で構築されているようなものです。

コアビリーヴも全く同じで記憶+習性で構築されています。

コアビリーヴというのは、あなたが覚えたというよりは、脳が覚えたということです。

子供の頃に脳にインプットされ続けた情報=記憶+思考+感情の結果がコアビリーヴの基礎土台になります。

その上に様々な経験を通じての情報=記憶+思考+感情が上乗せインプットされ続けます。

脳が覚えた=記憶した=記録した情報=記憶+思考+感情が理想的でなかったらどういう回路を作るでしょうか?

ここを理解するのが味噌です☆


☆脳習性を組み替え新習性を育てる


脳は習性の塊りですから、自分の「習性」を客観的に捉えることができるようになることを目指しましょう。

・自分自身の行動の様式+パターン

・考え方

・感じ方

・反応の仕方

・判断の癖

・感じ方の癖

・自分の中の制限

・肉体的な不具合など・・・☆

可能な限り客観的に洞察するように心がけましょう。

特に考え方の癖を把握できるようになりましょう。

自分自身に対する客観性+達観性を育てましょう。

自分で自分の習性=方向性がわかるようになると、自分を変化させる際の大きな目安になります。

自分で自分の習性や言動の癖、思考パターンや感情のパターンなどを察知しにくい方は、家族や友人・知人に聞いてみましょう。

他人の目からみるとどういう風に映るのか?

他人に聞く場合は、その人がどう判断するかではなく、客観的な視点で答えてもらいましょう。

例;

あなたは◯◯な状況で◯◯な言動をする

あなたは◯◯な事柄に対して◯◯な見解をする

あなたは◯◯な人たちに対して◯◯な判断をする

自分の言動パターンを他人からの視点で教えてもらいましょう。

複雑な思考回路はエネルギーを大量消費します。

頭の良い人に鬱が多いのはそのためです。

複雑な思考回路は脳そのものにストレスを与えるからです。

複雑で迷路のような思考回路ではなく、シンプルで美しい思考回路の育成に進路変更しましょう。

・何事も判断しない意識を育て習慣にする

・深く難解に考える習慣を止める

・メンタルに執着する癖を手放す

・ストレスマネージメントを学び、習慣にする

・直感を育て習慣にする

・体の感覚を育て習慣にする

・ポジティブ思考を記憶し習慣にする

これらを毎日の生活の中で実践していくだけで脳習慣は地道に育ち、組変わっていきます。

ストレスを生み出す思考回路をリプログラムして、幸せを生み出す思考回路に変更し続けると多角的に幸せな現実を作り出せるように変わっていきます。


ここが覚醒への道のりの中で最も重要なポイントなのです。

☆覚醒の行で覚醒できない理由 ☆BOOK M:Mの書 ☆意識の方向性

☆カーラチャクラ

☆覚醒を理解するための鍵

過去の偉大な覚醒者たちの共通項は?

☆覚醒の完成図



☆覚醒の行で覚醒できない理由・2016/12/04


「グランドフェース」に関連した覚醒に関する質問がブログ読者の方から届きました。 ☆ まかウラさんのブログにある「グランドフェース」の記事を興味深く拝読させて頂いてます。

密度が上がると意識も向上するというのは分かりました。 ただ、ネガティブ意識等に気づいた時には、自分からアプローチしてポジティブ意識に変える努力は必須ということなのでしょうか?

それとも、ポジティブに変えようとする意識が、密度が上がった証拠になるのでしょうか?

つまり、努力しなくても自らポジティブ意識に自然と向かうというような捉え方なのでしょうか?

というのも、個人的にタオの世界で伝えられている覚醒の行を始めてみたのですが、3年の行の修行者のエゴが拡大している様を観て、それに気づき修正するのは「行」では無理で、自分の意識で行うしかない。 つまり、行だけではエゴが消滅しないと現段階で結論付けたのですが、まかウラさんのグランドフェース記事を読んで、やはりネガティブ意識やエゴ意識の領域の変容はワークや行だけでは現段階では無理なのかと感じたのです。

エゴの崩壊を経験されたまかウラさんに是非解説して頂きたいです。 覚醒の行で覚醒できない多くの人の大きなヒントになると思います。

どうぞ宜しくお願い致します! ☆ 世界中には数多くのスピリチュアルな教えがあります。 ミステリースクール(エジプト) ユダヤ教(カバラ) インド哲学+ヴェーディック+ヨガ

仏教 チベット密教


バラモン教

キリスト教(イエスの教え)


中医学・気功の世界観 道教(ダオ) エソテリック(秘教・主に薔薇十字の世界観) 様々なネイティブ文化の世界観とその教え ケルト・北欧圏の世界観などなど・・・。 これらの教えは過去何千年にも渡って引き継がれ、今でも星の数の人々の日常生活の中で精進されています。 世の中の数え切れない人々が、これらのスピリチュアルな教えを信じ、それに基づいて様々な努力と精進を積み重ね続けているわけです。 なんて凄い世界観なのでしょう。 人類の全てが意識の覚醒を目指しているかと問われたら、大多数は意識の向上にさほどの重きは置いてないでしょう。 人類の大多数が意識の向上や目覚めに重きを置いているのであれば、現在の世界情勢はありえません。 人間性の向上や、意識の目覚めを目指している人たちは憶測できないほどだと思いますが、そうでない人たちの数の方が遥かに多いということです。 そんな中で多くの人たちが覚醒を目指しているわけです では「覚醒まで辿り着けない最も大きな理由は何なのか?」と考えたことがあるでしょうか? どうして何千年もの歴史を持つスピリチャルな教えが功をなさないのか? まず第一に理解したほうがよいことは、それらの教えそのものが、文字通りに何千年前のもので、極端に古いものだということです。 それらの教えは何千年前の世界観や倫理観、その時点での理解の範囲で説かれたものです。 例えばキリスト教の「聖書」を例にして書いてみます。 今でも聖書を盲信している方々は星の数ほどいらっしゃいます。 キリストの教えの部分に至っては約2000年前のものです。 旧約聖書に至っては、それよりも遥かに太古の昔に書かれたもの。 ウン千年前の世界観で書かれた書物、しかも数え切れない程に編集されているものを今でも疑問を持たずに盲信していること自体が不自然だと思ってないようにみえます。 現在とウン千年前の世界観がどれだけ違うものなのか??? 想像の中でなんとなく察することができますが、実質的にはタイムスリップしてウン千年前に戻ってみなけば、そのダイナミクスはわからないでしょう。 その時代に生きていた人たちの世界観はいったいどういうものだったのか? 現在と同じように野蛮な方向性が強かったのは明らかだと思います。 罪を犯した人たちに石を投げ続けて殺したり、十字架にかけて槍で突いて生殺し・・・。 なんて野蛮な・・・と思いがちですが、これは今でも引き継がれていますよね(笑) こういう意味では、古代も現在も人間性は然程は変わってないように見えます。


しかし現在では、以前にも増して次つぎと意識が目覚め始めている人たちが増え続けているのは確かです。 古代の世界観に関しては、ワタシの1冊目の著書「聖なるハワイイ・ハワイアンのスピリチュアリティー」を書いている時に思ったことがありました。 古代ハワイアンの宗教的+スピリチュアルな世界観も、その他の教えと同じように難解極まる世界です。 ある意味で「なぞナゾ」な世界観・・・。 古代ハワイアンの文化には書き文字が存在しなかったので、すべては口伝えで世代から世代へと受け継がれてきたものです。 古代ハワイアンの口伝えは、とても厳格に、その通りに覚えなければいけない掟で維持されてきたわけですが、それも時代の変動の中で趣を変えています。 キリスト教の本格導入を皮切りに古代ハワイアンの宗教は廃止され、さらに異国文化の宗教的な影響を受けています。 単純に察して、現在の古代ハワイアン文化に関する見地は、どこからどこまで純粋に信じてよいものなのか・・・?  正直なところ、莫大な疑問符で埋め尽くされているとしか書きようがありません。 古代ハワイアンの神話世界に至っても「これってキリストの奇跡の行いに似てますよね・・・」な場面がどれほど多いか・・・。 現在の私たちの生活の中でも、口伝えというものほど正確性が低いものはないと思います。 口伝えなわけですから、人から人へ伝わっていく間に少しづつ変化してしまうのが一般的です。 しかも伝える人の解釈によって意味が変わったりする可能性も多々あります。 編訳されてしまうということです。 ロスト・イン・トランスレーション:通訳の段階で何かが失われてしまうのです。

これは古代エジプトならびに、古代ギリシャの神話世界にも同じような特質・傾向がみられます。 今でも世界中に古代エジプト+古代ギリシャの神話世界を信じている人たちは数え切れない程いらっしゃります。 これも考えようによっては凄い世界観です。 現在の頭脳で理解するには不具合が高すぎる世界観であるにも関わらず、それを何とか理解しようと努力し続けている。 ここでの重要点は、現在の人類の知恵+知識+知性と、ウン千年前の人たちの知恵+知識+知性が違いすぎることです。 古代ハワイアン世界にしろ、古代エジプト+古代ギリシャの世界観にしろ、現在の頭の仕組みでは容易に理解はできません。 その理由は現在と古代の頭の仕組み=考え方、世界観や、宗教観などが違うからです。 それに加え、現在と古代の間には「大洪水」というものがあり、これを境にして世界中の古代文化は架け橋を失ってしまっています。 端的に書いてしまうと、現在のスピリチュアルな教えの中で、誰でも覚醒に導けるほど完全であるものは存在しないと思います。 その理由は、ウン千年と精進され続けているのに、その中で覚醒する人が極端に稀だからです。 これまでの覚醒に関する世界観は確率性が低すぎますよね。 確率性が低いということは、それだけ完全ではないということ。 これらの教えが完全なものであれば、誰でも精進すれば比較的に無理なく覚醒の位置までたどり着けるはずだからです。 世の中の大多数がキリストやブッダになってしまったらどうなるのでしょう? 世の中にキリストと仏陀が溢れてしまうと困るのはどういう人たち? これを逆さまに考えると、誰でも簡単に到達できないように処置されているという書き方もできます。 失われている何かが多すぎる・・・? または意図的に隠されている・・・? もしくはその両方? では、現在の地球に「覚醒に至らせる完全な教え」が存在するのか? まか〜ウラ的な多次元脳の視点では「YES」だとしか言いようがありません。



☆BOOK M:Mの書 わたしは見えない学校に属する、見えない先生方から個人授業を受けています。 過去ブログでも何度か「M」のことは書いてあります。 「M」の先生たちは私たち人間を超えている方々で、人ひとりを覚醒に導ける知識と技術を体得していらっしゃいます。 「M」世界は不可視な領域で、書物や実在する人物たちではないなわけですが、ではそれ以外に教えが存在しないのか? わたしが認識している限りでは、イラン高原のどこかに住んでいる部族が今でも完全な教えを維持しているハズです。 このことはダスカロスの書籍の中でも何度か記述されています。 その他に書籍として覚醒にいたる内容の教えが存在しているのか? これは憶測ですが、あるハズなのです。 「BOOK M:Mの書」 これは薔薇十字の創始者と言われるローゼンクレイツ氏に関するものです。 オリジナルはラテン語の書籍で、今でも探しているのですが、未だにたどり着いていません。 色々と調べたのですが「Mの書」に関する記事は少ししか見当たりません。 Then he traveled to ‘Damkar’ in Arabia, where he studied under a group of wise men ‘to whom Nature was discovered.’ These wise men had been expecting Rosenkreuz. They taught him Arabic, physics, and mathematics, and introduced him to the Book M, which contained the secrets of the universe, and which he translated into Latin. http://watch-unto-prayer.org/TR-20-christian-rosencreuz.html 彼はダムカーに旅し、そこでセージ達の元で勉強しました。これらのセージ達はローゼンクレイツの到着を待ち受けていたのです。彼らはローゼンクロイツにアラピア語、物理学、数学を教え、ユニヴァースの秘密を含んでいるMの書へと導き、彼はこれをラテン語に翻訳した。 探しても見つからない書物に期待するのも難なので、それ以外に方法はないものか? 覚醒に導くための完全な書物は見当たりませんが、世界各国に散らばっている教えを合体させれば近くなります。 中医学の氣と経絡の世界、ダオの丹田世界、ヴェーディックのチャクラ世界 しかし、それでも遥かに遠い感じになるでしょう。 その理由は、上記の世界観はものすごい数の人々が精進しているにも関わらず、たどり着きにくいから・・・。 では一体なにが失われている、または付け加えられなけれはいけないのか? これらの鍵を持っているのが以下の項目です。 ・量子物理学 ・ノエティック科学 ・ニューロサイエンス:大脳生理学 ・解剖学 これらを付け加えれば、カナリ完全な内容になると思います。 次はこの部分を段階的に書いてみます☆



☆意識の方向性・2016/12/11


まずは読者からの質問の上半分から始めてみます。


「密度が上がると意識も向上するというのは分かりました。ただ、ネガティブ意識等に気づいた時には自分からアプローチしてポジティブ意識に変える努力は必須ということなのでしょうか? それとも、ポジティブに変えようとする意識が、密度が上がった証拠になるのでしょうか? つまり、努力しなくても自らポジティブ意識に自然と向かうというような捉え方なのでしょうか?」 コンシャススフィア(意識の球体)の波動密度が上昇すると、それに従って意識の密度も上昇します。 なぜなら意識と波動=エネルギーは同じものだからです。 波動=エネルギーは意識でできています。 現在のスピ系エクササイズの多くは、体の内密度に焦点を当てたものがほとんどです。 概要としては、中医学の経絡、体内の氣の流れと質、ヴェーディックのチャクラやナディー、それに付随してエーテルボディーがあります。 エーテル域は部分的に外密度の領域にもありますが、基本的には肉体内のエーテル密度の延長なので、完全な外密度とは言い切れません。 現在主流のスピ世界では、体の外密度=オーラ全体の波動密度のことはホボ示唆されてないのが現状です。 コンシャススフィア:意識の球体の波動密度の上昇を教えているのがエネルギーヒーリング基礎コースです。

▲エネルギーヒーリング基礎コースの詳細はコチラ


コンシャススフィア=オーラの波動密度を上昇させると、その中に含まれている全てのものも波動を上昇させます。 しかし体の内密度を上昇さる場合は、それで体の外密度の波動を上昇させるのにはカナリの無理があります。 その理由は体積比が遥かに違うからです。 体積比が遥かに巨大なコンシャススフィアの密度を上昇させる方が、より楽に体の内密度を上昇させられます。 体内へのフォーカスを体外に移すだけで、大きな違いが生まれるのです。 次に意識の状態ですが、基本的に3つの段階があります。 ・ネガティブ意識 ・中立な意識 ・ポジティブ意識 これは意識の方向性みたいなものです。 波動密度が上昇すると、ネガティブ優先な意識であれ、ポジティブ優先の意識であれ、どちらも密度をあげることになります。 単純にエネルギー値の密度が上昇すると、意識の力は強くなります。 ネガティブ意識の強い状態で、体内または体外の波動密度を上昇させると、それに従って自分の内面のネガティブ性も強くなります。

ポジティブ意識が強い状態で波動密度が上昇すると、それに従ってポジティブ意識が強くなります。 意識の進化または成長という観点からでは、ネガティブ意識からポジティブ意識へと上昇する過程で、自分の意識状態を中立的な位置まで引き上げる必要が生まれてきます。 自分自身のことを客観的または達観した視点で捉えることができる意識状態に到達するとによって、自分のネガティブ意識を認識できるようになるからです。 波動密度が低い・浅い意識状態だと、中立的・達観的な意識の状態まで上昇するのも大変です。

意識の波動密度が上昇していく=全体的なエネルギー値が上昇すると、それ以前よりも遥かに多くのエネルギーを様々な方向性で使えるようになります。 波動=エネルギーの体積比が高くなればなるほど、エネルギーを使って変化を起こせるようになるのです。 コンシャススフィアの波動密度が上昇していく段階で、意識の全体性はより目覚める傾向が強くなります。 その傾向の中には、サイキック的な感覚と肉体感覚の変化+成長も含まれます。 意識の密度が高くなるに従って、各種のサイキック感覚の成長も上昇し始め、感覚そのものが全体的に上昇していきます。 その中で引き起こされていくのが意識の成長を通じた段階的な目覚めです。 意識を目覚めさせるにも波動:エネルギーが必要になります。 あまりにもエネルギー値が低すぎると、まともに考えることも不可能な感じに思えますが、エネルギー的に理想な状態だと明確に考えられますよね。 私たちが普通に行っている、考える、何かを決める、想像する、ふり返る、イライラする、楽しい、悲しい、などの感情的、またはメンタル的、そして精神的な行為は、エネルギーによってなされ、極度にエネルギーが低ければ、それらのことすら容易にできない状態になります。 意識の密度の上昇=エネルギー値の体積密度が、意識の成長または目覚めの速度に影響するわけです。 意識の成長または目覚めと密接に関係しているのが、内面のネガティブ性=ネガティブ・エゴです。 意識が上昇を始めると、内面のネガティブ自我に対する気づきが強くなります。 内面のネガティブ性に気づき始めると、それによる精神的なストレス=内面の葛藤が派生し始めます。 極度にネガティブな傾向が強い状態は誰にとっても心地よいものではないからです。 現時点では去年とは遥かに地球全域の波動密度が上昇しているので様々なことが多発的に起きています。 巨大な光が投入されているわけですから、それに反応してネガティブな側面が浮き上がりやすくなっているからです。 比較的に内面のバランスの良い人たちは、自然な成り行きで、自発的に物事をポジティブに捉えることができるように引き上げられていきます。 これは自分の中のネガティブ意識とポジティブ意識の配分によります。 ネガティブな重みが低いほど意識としては軽いわけですから、楽にポジティブ傾向へ移行できるでしょう。

「ポジティブに変えようとする意識が、密度が上がった証拠になるのでしょうか? つまり、努力しなくても自らポジティブ意識に自然と向かうというような捉え方なのでしょうか?」 ポジティブ密度が上昇していくと、ポジティブな精神性へ引き寄せられていくので、とても自然な流れととらえることもできます。 では自ら努力しなくても良いのか? と聞かれたら、それは疑問符です。 努力しなくても地道にカタツムリが動くように進んでいくと思いますが、その速度は極度に遅い感じでしょう。 精神性だけでなく、実質的な日常生活の中で全く努力をしない人と、常に努力をしている人が生み出す違いはどういうものでしょうか? 人生は努力しなくてもそれなりに進んでいきますが、努力をすると違った感じで進んでいきます。 そしてこの部分は潜在意識レベルの思い込み状態にもよります。 潜在意識の奥深い部分で、努力しなくても全ては完全に問題なくスムーズに進んで行くと覚えていれば、その傾向で進んでいくでしょう。 しかしマインドでそう信じていても、潜在意識のコア部分でそれを覚えきってなければ意識の衝突が生まれ、マインドで考えたようには進んでいきません。 この部分がトテモ分かりにくい部分だと思うので、次の記事で深く書いてみます。



☆カーラチャクラ・2016/12/12


まずは、どこと何を称して「覚醒」というのか・・・?

これも奥深いというか、人によって解釈や想像の域が違うと思います。

トドの詰まり「覚醒」の度合いを図る尺度がトテモ曖昧というか、あまり無い感じとしか書きようがありません。

たぶん世の中の多くの方々は、過去の覚醒した偉人たち、イエスキリストや仏陀などを想像するのだと思います。

スピ界だとセントジャーメンとか、ダスカロスとか?

覚醒に対する視点もカナリ広いもので、どこをどう捉えるかによって趣が大きく変わると思います。

現在での一般的な覚醒のイメージは、チャクラが全て開いた後にクンダリーニが上昇して、覚醒の境地に至るという具合のものではないかと思うので、まずはチャクラ世界観を基盤にしながら書き進めてみます。

まず第一に、チャクラ観にいたっては、これは多くの方が仕組みをよくわかってないようにみえます。

一般的にチャクラは7つあり、第一チャクラから第七チャクラと段階的に上昇させながら開いていくのが理想だと説かれています。

なので多くの方は第一チャクラから始め、第七チャクラへと向かっていきます。

各々でチャクラの状態が違うので精進の過程でカナリ紆余曲折すると思いますが、最終的に全てが開花するように精進するわけです。

まずここで問題なのは、第一から第七まで段階的に下から上へと上昇させなければいけないのか?

いえいえ、そんなことはありません。

最も理想的なのは、第一から第七までを一気に同じように上昇させることです。

七つのチャクラ波動の密度を一気に同じように上昇させることができれば、チャクラ間のどこかで衝突するという危険性は極端になくなります。

この部分が一般的に理解されていないのは、チャクラとそれらを縫合しているコンシャス・スフィア=オーラとの関係性が説かれてないからです。

一般的なチャクラ観ではチャクラと肉体部位との互換性は説かれていますが、体の外の部分、オーラ=コンシャススフィアとの関連性は一般的に示唆されていません。

ヴェーディックのチャクラ観は、チャクラとナディ(経絡)と肉体部位は関連づけされていますが、肉体の外の部分に関してはアイデアが薄く、教えの中で重要な位置にありません。

過去記事でも書きましたが、ヴェーディック世界にオーラの概念が全く無いのか?と聞かれたら、なんとなくそれらしきものがあるようですが、大多数の方々はそこに重要性を見ていません。

この部分はチベット密教的な世界観にも同じような感があります。

例えば、カーラチャクラ Kālacakra Tenfold Powerful symbol に関しては、これは見る限りオーラ+エネルギーシステムの構造を描いているとしか思えません。

International Kalachakra Network

http://kalachakranet.org/kalachakra_tantra_10-fold_powerful.html

まず、このカーラチャクラのKālacakra Tenfold Powerful symbol を簡単に説明してみます。


カーラチャクラのTenfold Powerful symbol のデザインは、総体性を形として現したものです。


まず一番外側の枠の部分ですが、解説では「Protective Fire Ring・炎の保護の環」と呼ばれ、マンダラの最も外側に位置する叡智の輪を表していると書かれています。

これを翻訳し直すと、オーラ外側の枠の部位は、叡智の輪と呼ばれ、そこに到達するのが最大の目標だということです。


こちらの構図はホボ同じですが微妙に描かれ方が少し違っています。

宗教芸術で微妙な部分は、年代やアーティストによって表現の仕方が違うことです。

これも口伝えと同じようなもので、世代や描き手が変わる段階で、簡約化・簡略化を含め、ロストイントランスレーション・編訳されてしまうのが常なようです。

なので最も古いと言われるものを見つけ出さない限り、そこには編訳が付きまとっている可能性が高いといえます。

こちらはカーラチャクラの立体版ですが、これも基本的な構造は同じです。

立体版をよく見てみると、オーラの炎と称される層の中にもシンボルが組み込まれています。

基本として、底にある蓮の花の部分は第一チャクラ、頭頂の突っ張り部分が第七チャクラ、縦軸の左右の層にそれぞれ5つのシンボルが組み込まれています。

これは左側が肉体の前面、右側が肉体の背面を示唆したものです。

チベット密教でチャクラ観はさほど説かれませんが、ここにはシッカリとチャクラに通じる理解が明確に刻み込まれています。

チベット密教は、オーラ=コンシャススフィアの概念を持っているということです。

これをさらに分解して読み込んでいくと、幾つかのボディーが明確に描かれているのがわかります。

最も中部の複雑な図はボディーのひとつです。

それを含んでいる、さらに大きなボディーがあり、そこに境界線が描かれています。

そのさらに外側に別の境界線があり、その中に別の小さなシンボル=チャクラが組み込まれています。

内境界線と外境界線の間にチャクラと互換性を持つシンボルが置かれているのです。



次にもっとも中にある複雑な図柄の部分ですが、これはエネルギーシステムの構造=回路を表したものだとしか思えません。

この部分はLANTSA・ランツサまたはRANJANA・ランジャナ・キャラクターと呼ばれるそうです。

これは中医学の経絡に近いものだと思います。

こちらも基本的に七つの回路で構築されています。

興味深いですね☆

これは各々のチャクラと脳の間を繋いでいるエネルギー回路の構図を表したものでしょう。


単純なはなし、世の中の大多数の方々は肉眼で見えるないなら、そこには何もないと思いがちですが、実際にはそうではありません。

過去になんども書いていますが、波動の高さというよりも、波動の密度の上昇が重要です。

そしてチャクラの密度を上昇させても、それより外側の密度を上昇させるには無理がありすぎます。

その理由は体積的に巨大すぎるからです。

しかし、その逆にチャクラを包み込んでいるオーラ全体の波動密度を上昇させることができれば、チャクラも自動的にオーラ内の密度の上昇に沿って密度をあげることになります。

こちらのエクササイズはエネルギーヒーリング基礎コースで☆



☆覚醒を理解するための鍵・2018/8/2


覚醒できない理由の最も大きな原因は、波動密度の浅さです。


次に巨大なのが覚醒に至るまでの行程、構造=仕組みが明確にわかってないこと。


仕組みの不明確さのために「スピリチュアル」または「神秘」+「秘教」が幅を利かせ続けています。


覚醒はスピリチュアルなもので神秘的、それは秘教の世界という定義です。


確かに人間を超えた世界=見えない世界が関与する傾向はありますが、絶対にそうなわけではないとわたしは思います。


これに絡むのが覚醒に挑戦する人の意識の状態または位置。


2000年前と600年前と現在では総体的な世界観+科学観が違います。


2000年前+600年前、またはどのような年代の教えであれ、科学的な理解の部分は現在には勝りません。


太古の世界には大脳生理学的な理解はホボ存在していなかったでしょう。


古代エジプト文明の中には、脳内物質のことを示唆していると思わせるものが多々ありますが、その他の文明では現在の大脳生理学と匹敵するほどの理解があったとは思えません。


古代世界で顕著だったのは「シャーマニズム」+「超自然世界」です。


古代世界の方向性は、人間にはわからない世界、または、人間を超えたものは全てが「超自然」なものだったように見えます。


チベット仏教に至っては、瞑想状態の鍛錬の中で、脳周波数という世界観を理解していたようですが、それも現在のような科学的な世界ではなく、体験を通じたものだったでしょう。

覚醒を目指した修行の多くは各種の「瞑想」を説いているようにみえます。


「瞑想」=「脳の状態を変化させる」=マインドテクニック


その他のファクターとして様々なエクササイズ=鍛錬があります。


鍛錬の多くは肉体的なエクササイズで、その傾向は気の強さを高める傾向のものです。


「鍛錬修行」=「気の力を高める」=エネルギーテクニック


これを合体させると、マインドテクニック+エネルギーテクニックという図式が浮き上がってきます。


この二つの動向でさえ曖昧さがつきまとい、明確に構築さているわけではないので、そこにも「スピリチュアル」+「神秘」+「秘教」というものが持ち込まれ気味になります。


そんな世界観の中で覚醒を求めるわけですから、誰でも簡単に覚醒まで到達しなくて当然です。


覚醒への道の第一歩は、この「不完全性」に気づくことです。


次のステップは「不完全」なものをどうすればより完全に近づけることができるかを「考える力」です。


前のカーラチャクラで解説したように、カーラチャクラのデザインの中には明確にエネルギーの動きが現されています。


古代エジプトの芸術も同じで、そこに多角的に脳内世界が現されているにも関わらず、そこに結びつけて考えられないのはなぜでしょう?


多くの人がそれらを見抜けないのはなぜでしょう?


既成概念=思い込みが強すぎるからです。


「こういう風に説かれているから」「こういう風に練習または鍛錬すると説かれている、そうしなさいと教わったから」


ある意味で純粋だと、それを丸まま信じてしまうわけですが、実際にはそう簡単に進んでいきません。


覚醒へ導いてくれる鍵は世界の至る所に散りばめられているのですが、世界観が狭すぎると、それらの鍵が見えてきません。


まずは視野を広げること。


盲信するのではなく、ポジティブな疑問を持つこと。


何事にしろ、何かを達成できないのは、達成するための何かの部品、情報、技術などが欠けている場合がほとんどです。


何が欠けているかを考える力が必要だと覚えましょう。



過去の偉大な覚醒者たちの共通項は?


覚醒体験は、ブッダやキリスト、モーゼなどの話に触発されている場合が多いのですが、これらの過去の偉人が生きていた世界と現代世界では状況が同じではありません。


そしてブッダ、キリスト、モーゼの3人が体験したと言われる覚醒体験の背景には共通項があります。


彼らは断食的に自然の中を彷徨い、命からがらのところで覚醒体験をしていますよね。


この3人は死の寸前まで自分を追い込んでしまっています。


ここで見えてくるのは「肉体の極限」です。


肉体が極限を迎えるとどういう体験が起き得るのでしょうか?


以下の3つ体験が候補として挙げられます。


・幻視または幻覚


・意識の分離(トランスパーソナル)


・臨死体験


では上記の項目を引き出すのは人間の構造の中でどこになるでしょうか?


それは「脳」+「脳を支える、維持する器官」です。


人間が極限的な状態に達すると、脳が開かれる傾向が強くなります。


肉体が脳を守ろうとするのです。


これは生理学的な機能で「スピリチュアル」ではなく「メカニズム」です。


幻視、意識の分離(トランスパーソナル)、臨死体験の先に待っているのはスピリチュアル世界ですが、その前まではメカニカルだということです。


まずはこの部分をスピリチュアルと勘違いしないこと。


次に、脳を開くのは基本的にはエネルギーです。


この「エネルギー」というのも現状ではスピリチュアル〜で済まされがちですが、そうではありません。


ここで「脳を開く」+「エネルギー」という図式が現れます。


「エネルギーが使われて脳を開く」は多角的に分解することができますが、この部分はややこしくなるので別の機会に挑戦してみます。


3人の偉大な聖者たちは肉体を究極の状況に持ち込むことで覚醒まで至っていますが、必ずそうしなければ到達できないのか?


そこで浮かんでくるのが「脳が開かれる構図=構造と経路+エネルギーのヴォリューム」です。


普通の状態では脳は開かないわけですから、それを意図的に開くためには何かに働きかける必要が生まれてきます。


そこで必要になるのが「設計図」または「指示書」のような類のものです。


「覚醒の設計図」や「覚醒の指示書」はスデに様々な文明の中に残されているのですが、残念なことに多くの方が見落としています。


その一つが前に登場した「カーラチャクラTenfold Powerful symbol」です。



☆覚醒の完成図


このカーラチャクラを意訳すると「完成図または完成した姿」というのが妥当な意味になるでしょう。


この状態を作り上げれば、その境地へ辿り着けますよという教えです。


「覚醒の完成図」はカーラチャクラだけではありません。


その他にもいくつか存在しています。


この部分も興味深いので、別の機会に挑戦してみようと思います。


覚醒の完成図はあるわけですが、そこに達せない理由の一つにエネルギー不足があります。


普通のエネルギー状態では覚醒できないわけですから、エネルギーの量なり質なりが変化する必要が見えてきます。


そこで説かれるのがエネルギーの向上を目指す「気の鍛錬」や「瞑想状態」です。


エネルギー的な状態を変化させることが基本になっています。


・気の鍛錬=気の強化+向上 → 全体的にエネルギーを強くする、貯蓄して回転させる術


・瞑想状態=気の制約+集約 → 基本的には脳へエネルギーを届ける術


上記の二つを精進精進し続けても覚醒までの道のりは遠いのですから、ここにも問題があることが説かれています。


ではその問題はなになのか?


それはエネルギーの量=ヴォリューム=密度です。


どうすればエネルギーの量を増すことができ、密度を高めることができるのかわかれば、もっと速く達成に近づけるわけです。


気の鍛錬にしろ瞑想にしろ、気=エネルギーを集めて集約する、貯蓄したり節約するのが基本ですが、それ以外に方法はないのでしょうか?


ここが全てのミソになります。


足りないから集めたり、源に接続したり、節約するではなく、足りないのであれば、借りてくるのではなく、創ればいいんです☆


エネルギーを作り出すことを知り、それを実践し、創り続ければ状態は変化し続けます。


この部分はエネルギーヒーリング基礎コースなり、ライトボディアクティベーションなりを通じて育てていくことが可能です。


では次の「どうすれば覚醒に近づけるか?」は別角度で覚醒について書いてみます。

© 2015 by Hiroshi Makaula Nakae

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