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ファラオの石像

Updated: May 9, 2018



ツタンカーメン王展の会場に入ってすぐに現れたのがカウレ王と彼の息子メンカウレ王の石像です。


▲カフレ王の座像

カルサイト 高さ78㎝ 古王国時代 第四王朝 カフレ王 ミトラヒナ



第4王朝・第4ファラオだったカフレ王は、二番目に大きなピラミッドを建設したとされるファラオです。


古都メンフィスのミト・ラヒナで見つかったカルサイト製のカフレ王の像は、町の中にあった神殿に捧げられていたものであろうと思われ、その他のカフレ王の像よりも完成度が低く、元々はカフレ王のピラミッド複合体から持ち込まれたのではないかと考えられています。神殿内に捧げられていたことから、神々と同じように生き神様として拝まれ。捧げ物などが奉納されていたのではないかとも推測されています。


この石像で最も印象深かったのは、ネメスと呼ばれる被り物の後ろ側でした。ネメス冠の下にコブラの尻尾のような何かがぶら下がっているのです。ネットや雑誌に掲載されている写真というのは主に正面からのショットが普通なので後ろ側のイメージが解らない場合が殆どで、ファラオのかぶり物は後ろから見るとどうなっているのか、一体どのようにして布を頭に布を巻けばこういう具合の形になるのか解らず疑問に思っていたのです。


石像の首の後ろからぶら下がっている紐は、頭巾を束ねて別の紐でグルグル巻きにした姿のように思えましたが、観ようによってはコブラのシッポのようにも見えます。しかし、解説ではそういう細かい部分まで説明されてはされていません。また肩から上の被り物の表面は横縞のパターンは無くツルツルな処理で、横縞のパターンが現れるのは肩から下の部分と付け髭、そして背中側でも肩位置からぶら下がっているコブラの尻尾のように見える終尻の部分のみです。



▲メンカウレ王の座像

カルサイト 高さ160㎝

古王国時代 第四王朝 メンカウレ王 ギザ メンカウレの神殿の谷




メンカウレはカフレ王の息子で、古王国時代・第4王朝で5番目のファラオです。ギザの三つのピラミッドの一番小さいピラミッドを建設し、胴体に対して頭の比率がとても小さいと説明されていました。


この石像の不可解な部分は、体のプロポーションが変なことで、胴体部に対して頭の大きさは異常に小さいし、足も異常に長いのです。この構図的な不完全さはその他の石像彫刻のバランスが取れている比率と比べると違和感を感じてしまいます。そこで考えられるのは、頭の部分だけを彫り直したために小さくなっているのではないかという推測です。


この二体の像の背中側を見た時に、2011年頃に背中の裏側、首の後ろからぶら下がっている透明な図太いコードのことだと思いました。


メンカウレ王とカウレ王の像は二体とも額に巻かれているバンドからコブラの女神ウラエウスの頭が浮き彫りにされていますが、これはファラオを現す特徴の一つです。首の下くらいから現れ背骨に沿って下がっているコブラの尻尾の頭部は後頭部から頭頂、そして額まで移動して、第三の眼の位置から頭を上げる姿を現わしたものです。


首の後ろから下がっているコブラの尻尾がアンテナに引っかかり始めてから、ファラオ像の頭のデザイン的な構図、表現のされ方に対する興味が一気に沸き上がって来ました。


▲ラメセス2世の胸像

グラディオライト 高さ80㎝

新王国時代 第18王朝 ラメセス二世 タニス




第19王朝・第3ファラオ・ラメセス2世の胸像の頭部の表現はヘルメットのようにも見える鬘(かつら)を被り、頭にはバンドが巻かれ額の位置にコブラが現れています。頭に鉢巻きをしているようにも見えますが、後ろから見ると結び目ではなく小さな丸いディスクに接続され、そこから別の帯が側頭部から顎の付け根の位置まで伸びています。バンドの終わりの部分からコブラが現れて、その頭上には太陽のディスクが乗せられ、位置的には耳の穴でした。


この像も鬘を被っている頭の大きさと顔の比率のバランスが悪く、ラムセス二世の顔は後から再彫刻されたかのようにかなり小さく見えます。


背中にはリュックサックのように見えるものが張り付いているのですが、ここに名前が刻まれています。普通だったら石像の前部分に名前を刻むと思いますが、どうして背中に刻むのか理解に苦しみました。最初から石像がラムセス二世のイメージを表現するために彫り込まれたのであれば、名前を彫り込む位置まで鼻から計算して進めるはずです。


そんな不具合を考えていたら、古代エジプトの歴史の中でも壁画や石像の顔を作り替えることは有名なので、この石像は別の誰かを現した像に変更を加えてラムセス二世にしたのではないかと思えてしまいました。


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