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第三の目・歴代のアセンションした方々の共通項はなに?

 過去の偉大なスピリチュアル・マスターたちはいったいどれくらいの数に上るのでしょう?


 北インドの釈迦=ガウタマ・シッダルータ


 ナザレのジーザス(イエス・キリスト)


 古代イスラエルの民族指導者モーゼス


 イスラム教の始祖ホマメッド


 他にも大勢いると思いますが、他に思いつかなかったので、この4人に共通する事象を元に書いてみます。



 まず北インドの釈迦=ガウタマ・シッダルータから。



 彼は29歳から35歳までの6年近くのあいだ、バラモン教の影響を受けた厳しい断食修行、わずかな水と豆類などで何日も過ごしたとされています。


 仏教の始祖は、バラモン教の影響を強く受けて育っています。


 シッダールタの身体は骨と皮の、やせ細った肉体となり、ガヤー地区のほとりを流れるナイランジャナー川で沐浴したあと、村娘スジャータから乳糜の布施を受け、その施しを得たことでシッダールタは苦行をやめます。


 体力を回復した彼は、ピッパラ樹の下に坐して瞑想に入り、悟りに達し、仏陀となった。




 ナザレのジーザスは、ヨルダン川のほとりで「悔い改め」を説く洗礼者ヨハネから洗礼を受けます。


 その後に、御霊によって荒れ野に送り出され、そこで40日間断食し、御霊にひきまわされ、悪魔の誘惑を受けました。


 そのあいだ何も食べなかったとされています。


 何も食べなかった、それが自らの意図的な目的だったか、成り行きでそうなったかは定かではありませんが、結果として、断食だったということになります。




 古代イスラエルの民族指導者モーゼスは、導いた民を置いてシナイ山に引きこもり、彼の安否を懸念した民は、神に金の羊の偶像を捧げました。




 イスラム教の始祖ムハンマド=ホマメッドは、40歳ごろに悩みを抱いていたので、メッカ郊外のヒラー山の洞窟で瞑想に入ります。


 そこで大天使ジブリール(ガブリエル)に出会い、唯一神(アッラーフ)の啓示を受けたとされています。



 この過去の四人の聖者、または預言者、指導者たちの共通項はなにでしょう?


 荒野での孤独な修行・長い断食


 洞窟


 啓示を受ける


 これらの伝承の正確性、修行の長さとかは脇に置き、修行で荒野で彷徨い、洞窟で瞑想、そして、啓示をうけるという部分は酷似しています。


 単純に考えて、長い断食生活は人を焼身させ、意識を朦朧とさせ、最終的には幻覚世界を彷徨うことになります。


 40日間の断食は究極な感じがしますが、達成できないわけではないようです。


 近年でも三ヶ月近く断食、水だけで生きる実験をした方々がいますよね。


 計画的に行えば辿り着ける世界なようです。



 彼らの荒野での断食がどのようなものであったのか、全く食べなかったのか、極めて少食だったのか、霞だけを食べて生き抜いたのかは細かく説明されていません。


 しかし、肉体を瀕死の状態、究極の試練、生きるか死ぬかの崖っぷちへ導いたことは変わりません。



 では、人間ボディーが生死の間に直面するとなにが起きるのでしょう?


 臨死体験です。



「アンドロメダの青い瞳・上巻」の中でも書きましたが、臨死体験の原理はどういうものだと思いますか?


 臨死体験の基本は、死の瀬戸際で、意識が人間ボディーから上昇し、天使や、遺族などと対面する。



 では、この究極の神秘体験を引き出す、または作り出すのはなんだと思いますか?


 それは、スピリットの分子と呼ばれる脳内物質「D・M・T」です。

 心停止の後は酸素供給が急激に減少しますが、脳は3分から5分は生きていられるそうです。


 単純に考えて、酸素呼吸は肺だけではなく、皮膚でも呼吸しているので、心臓が停止しても、すぐさま生体組織が完全に死ぬわけではありません。


 皮膚呼吸で若干、全呼吸量0・6%の酸素をしばらくは動かしているでしょう。


 そこにD・M・Tが放出されることで、脳は8分くらい守られるそうです。



 ガウタマ・シッダルータや、ナザレのジーザス、モーゼス、ホマメッドたちが、生死を賭けた荒業・断食し、究極の生と死の淵に近づきながら、洞窟で瞑想した結果が神秘体験です。


 人間ではない、彼らが「神さま」と定義した「多次元の存在」との遭遇です。


 「洞窟」という環境設定も松果体と第三の目の機能と深く関係します。


 そのような環境設定の中で「啓示」が与えられる、または受け取ったわけです。


 それは現代とは全く掛け離れた世界観・医学観・科学観だったわけですから、その体験が「神さま世界」と直結しても当然ですよね。


 では、死なないと松果体からD・M・Tが放出されないの? と思うかもしれません。


 実質的な心停止による死を経験しなくても、D・M・Tを放出することは可能です。


 松果体が開き、D・M・Tが脳内に放出されることで起き得るのは、次のような項目です。

 臨死体験・天使と遭遇、遺族に再開する


 神秘体験


 多次元体験


 異次元体験


 異星人遭遇


 簡潔に書いてしまうと、多次元または異次元にチューニングされるわけです。



 古代エジプト世界で心臓が秤りに掛けられるのは、このダイナミクスにも関係しています。 


 松果体は脳幹の背面、視覚処理を行う、小脳左右の溝の奥、その上位にぶら下がっています。


 松果体の真下には第四脳室と繋がっている、受け皿のような部位もあります。



 松果体から意識を高次元に接続させるD・M・Tが放出されると、その神秘の分子は、松果体から下の部位に広がりながら浸透し、小脳や後脳、視覚処理する領域だけでなく、脳室の中に戻り、脳全体に送り届けられます。


 松果体+D・M・Tの世界というのは、スピリチュアルな多次元体験、または至高体験を作り出す有機的なシステム、構造があり、仕組みがあり、働き方、連動性があり、その基本は脳内物質の化学的な反応だということです。



 スピリチュアル世界で「第三の目」が語られるときに、その多くは「松果体」に焦点を当てます。


 もっとも短絡的なアイデアなのが、松果体が第三の目だという見解です。


 松果体は第三の目という機能の一部で、その他の生体器官と、それぞれの機能による連動性によって働くものです。


 第三の目という機能は、デバイスのようなものです。


 トランスセンデンタル体験の後に、夢の中で上から指令が届きました。


 当時のシェアハウスを見せられ、家の北側の庭に看板が立っていました。その看板には英語で「北を開拓しなさい」と書かれていました。


 感覚的に、パワースポットやE・T関係な感じはせず、スピ系のグループまたは人物を探して会えと思いました。


 そこで家から北にあるスピリチュアル系のグループを探し始め、しばらくしてミーツアップに新しい瞑想グループが登場し、これかもしれないと思って瞑想会に出かけました。


 ちょうどライトボディー・アクティベーションの中で、プラットフォームが投入され、その構築が本格的に始まった後のことです。


 思った通りに、その瞑想会を主催しているご夫婦は、それまで色々と参加してきた様々な種類の瞑想とは全く違った次元、超アドバンスの方々だったのです。


 私が参加することで瞑想体験が新次元になり、お互いに気に入ったので、足蹴に通って新境地の瞑想体験をしばらく開拓し続けました。


 その初期に、上は彼らの瞑想室に重なるようにプラットフォームを設定しました。


 その後、私たち三人は、瞑想中に異次元の「クリエーション・チェンバー」に何度か入り込み、いろんな体験をし始めました。


 その中のひとつがマイトレーヤ・弥勒菩薩とのご対面です。


 マイトレーヤは頻繁に登場するようになり、ハトホル体験や、古代エジプトの主神、黄金のラー・パッケージも受け取りました。


 ここまでくると、一般的なスピ世界から一気にデヴァ世界になってしまうので、いったい何なのかわからないと思うでしょう。


 プラットフォームってなんですか?


 クリエーション・チェンバーって?


 マイトレーヤ・弥勒菩薩とのご対面?


 黄金のラー・パッケージ???


 デヴァ世界?


 これらの異次元+神さまパッケージ+アプリケーション世界は、一気に簡単に書けないので、徐々に書いていきます。


 瞑想が終わり、瞑想室からリヴィングに移動し、会話が第三の目のことになりました。


 すると突然に終わったばかりの異次元瞑想世界にバクリと引き戻され、第三の目を明確に視せられ、わたしは受け取った理解を彼らに言いました。



「これはデバイスだ」



 それを聞いた二人はびっくり仰天した顔つきで驚きを隠せず、彼らが支持していた先生が第三の目のことを「デバイス」と呼んでいたと話してくれたのです。


 第三の目というのは「生きた知性を持つデバイス」なのです。


 それは単に松果体と、その中に納まっているクリスタル、そしてD・M・Tだけのことではありません。


 第三の目という肉体領域は、多次元、または異次元世界への扉のようなものです。


 その時に見せられた第三の目の姿は、この世のものとは思えないほどに美しい、極彩色の女性性器のように見えました。


 しかし、それは実際の女性性器ではなく、松果体を中心にした小脳左右の溝の奥の光景です。


 左右の溝の間から覗くと、ヴァジャイナのように見えるのです。


 男性はペニスがあり、女性はヴァジャイナがあります。



 ヴェーダ世界だけでなく、その他の文化圏にもペニス信仰、ヴァジャイナ信仰と言われるリンガム世界がありますが、湾曲翻訳されているもよいところ。


 これには驚くかもしれません・・・。


 女性の中にペニスはあります。


 男性の中にヴァジャイナはあります。


 びっくりですよね?


 いったいどこに? と思うでしょう。



 この世界を多角的に表しているのがヒンドゥーのデヴァ世界です。


 この世界観はヒンドゥー教世界だけではありません。世界中の古代文明世界の中に散りばめられています。


 古代エジプト、古代ギリシャ、古代シュメール、北欧バイキング、マヤ・アステカ、古代インカ、アボリジニからポリネシア、様々なネイティブ世界。


 それぞれの文化圏で翻訳のされ方、表現のされ方はかなり違いますが、基本は、ほぼ同じです。


 古代文明の伝説、神々世界というのは、基本的にその文化圏での、ミステックや預言者、神官や巫女たち、一般の人たちよりも感覚機能が発達している、それが目覚め、育っている人たちが体験した第三の目世界です。


 彼らは、生きた智性を持つデヴァイン・デバイス=第三の目を駆使できる状態までたどり着いていた。


 古代文明の伝説、神々世界は、デヴァイン・デバイス=第三の目の神秘の扉をくぐった先、デヴァ世界やモナド世界の姿を語っているのです。

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