「次元上昇するための5つのステップ」

2020年の秋頃のことですが「バシャールからのメッセージ・次元上昇するための5のステップ」がフィードやYouTubeで次から次に出てきてました。
これらが5つの項目です。
「バシャールからの5つのメッセージ」
①すべての他者を許す。
②ありのままの自分を許して愛す
③過去の出来事に囚われない
④ハイヤーセルフに繋がる
⑤4つを実勢した上で、今ここをワクワクで生きる
文字通り、書かれている事は簡単にわかると思います。しかし、これらはステップ=階段ではなく、項目の並びです。
それぞれの項目を乗り越えなさいというメセージですが、そこに階段的な実践方法、具体性などは全くありません。
項目として並ぶ問題の定義・5つの挑戦だけなので、読んだ人、聴いた人の中で、意味はわかると思います。
しかし、実質的な問題として、どのようにすれば克服できる、提示されている状態になれるのでしょう?
意味はわかるけど、でも、どうやって?
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これは常に覚えておきましょう。
そんな問題定義は今に始まったことではなく、過去の長きに渡って、様々な存在やら、スピ系グルたち、スピーカー達が、延々と説いてます。
これまでの歴史の中で説かれ続けているにも関わらず、到達しにくい、安易でないのはなぜでしょう?
それで次に出てくるのが以下の疑問符です。
意味はわかるけど、どうやって?
どうやって他者を許すの?
どうすれば自分を許せるの?
過去に囚われない人になるには?
どうやってハイアーセルフに繋がるの?
どのように乗り超えるの?
どうやって?
具体性の欠如、ステップ=段階の欠如、そして、エクササイズ=方法欠如という多角的な欠如のために、読んだ人、聴いた人は、目標としての参考にはなるけど、自己挑戦のハードルはさして変わりません。
言われるように次元上昇したいけれど、方法が解かれてないので変化できない、上昇できない。
そこで本末転倒、振り出しに戻ることになります。
次元上昇どころか、焦るだけな状態に置き去りにされてしまいます。
それでは、次元上昇するための5項目チャレンジを、ステップ・バイ・ステップで説明してみましょう。
これは個人的な経験から入った方がいいと思います。
ファラオ的アセンションの後のわたしの中にも、許せない、愛せない、過去に縛られている状態は山積みでした。
そして3~4年くらい前もかなり持っていました。
手放すのはすごい軽くなった、許せないとか、いうそういう状態がかなり消えたのは、2016年のトランスセンデンタル経験、自我構造のリセット、初期化の後からです。
今はそんなにありませんが、全く消えてしまったわけではありません。
トランスセンデンタル体験的に言ってしまうと、自我構造のリセットは完全エネルギー世界だったので、今までで最も強力などひゃ~!を遥かに通り越したヴォリュームのエネルギーが落雷のように落ちてきて、すべてが初期化される、焼けてショートしまう感じ、底にあるエネルギーとその固まってしまった道筋を溶かす、あるいは壊してしまいました。
ここはトランスデンタル体験のyoutubeを聞いてくだされば、どういう世界だったのか何となく分かるのではないかと思います。
その結果に私の頭は軽くなり、審判しなくなり、決めつけなくなり、全てがニュートラルに初期化されました。
思い込みのない世界になり、そう簡単に反応しなくなり、知らない人とも、路上の少しおかしくなっているホームレスとも平気で話せました。
体全体が軽く、浮いている感じも続きました。
それだけでなく、見える世界も遥かに高画像、色から質感、奥行きなど、世界が一気にHD・ハイデフニション映像になっていました。
それまで美しいと思わなかったものが、極めて美しく見える、魅了されてしまう世界です。
自我構造のリセット経験でわかったのは、自我構造=思考と感情の枠組み+審判機能の仕組みです。
では、自分の中から、許せる、許せないとう葛藤または衝突を、どうすれば手放せる、薄める、その逆の状態、認められる、愛せる状態に転換できるのでしょうか?
許せないというのは、自分の中で、何かの事柄に対して執着がある状態です。そのことが気になって仕方がない、引っかかっている状態です。
許せない=執着から逃れられない。ピタピタタ! っと接着剤のように、ビーっと引っ付いてて、それが執着になってしまう。
執着には種類が沢山あります。
憎いとか、恨むとか、羨ましい、気になる、許せない、愛したい、愛されたい、自分の望むように、状況、または、誰かをコントロールしたい、などというネガティブ感情です。
愛したい、愛されたいもネガティブ感情なんですか? と思うかもしれません。
「したい」「されたい」の多くは不満足から生まれる欲求=欲求不満です。
あなたは多角的に満たされていますか?
どのようなネガティブ思考+感情にしても、執着した状態になる=手放せない、それから離れられないというのが基本です。
全てを良しとできるいうより、レッドゴーしたい=手放したいわけですが、そこに力強い執着力が生まれている。
中にはその執着の余りに、自分から望んで引っ付けたい、さらに執着+固執したい人もいます。
しかし、多くの場合は、自分の中の執着に縛られて窮屈になる、息ができなくなる、苛々したりします。
自分の中の均衡が平和的な状態から、苛々する、腹が立つ、悲しくなる、壊れた感じになる、壊したくなる、などの反応が起きたりします。
執着している状態が、自分の中で嫌で仕方がないところまで到達すると、自分の中のストレスが沸騰し、叫びたくなってしまいます。
多角的なストレスになるので、良心が残っている場合は、そこから離れたくなると思います。
良心が荒れてしまっている場合は、その状況または関係者に向かってストレスを発散し始めますね。
許容量を超えてしまうと、頭が変になった感じになる、叫びたくなったり、わめきだしたり、八つ当たりを始めたり。
執着そのものとお近づきになり過ぎると、そこからなかなか離れられない、離れたくても離れない、放せない、手放せない状態にまで固まり、固執する状態に進みます。
次のセクション「ありのままの自分を許して、愛す」です。
ここも、わかったようで、分かりにくい。
ありのままの自分というのは何なのか? という定義もありますが、基本は、自分を愛する、許す=自分で認めている、自分の嫌なところをOKとできて、うまく付き合える状態です。
自分の嫌なところ、例えば、罪の意識とか、意地の悪い自分、不幸せな自分、感情的な自分、いろんなバージョンがあると思います。ポジティブな部分は置いておいて、自分のネガティブサイドに対して、そことどのように引っかからないようにするかを考えるでしょう。
結局のところ、それも執着なので、自分の中に「自分の嫌な部分」という認識がある限り、そこが絶えず引っかかって挑戦してきます。
奥にある嫌な自分というものにスポットライトを当て続けるので、それが明るくタラララーンと桧舞台に登場してドラマを演じ始めるのが普通です。
なにがそれを起こしているのでしょう?
ここも執着ですよね。
自分の中の嫌な部分に対する執着+固執です。
それらのものを、どのようにレットゴー、手放せるか。
愛するって言いますが、ありのままの自分を許して愛すというのは、一つではなく、いくつかの項目です。
単数であれ複数であれ、どちらにしても、自分の中にコンフリクト=衝突がある状態では、自分を愛するどころか、愛したいけど愛せないわ、というジレンマな状態になります。
「だって、これがあるから」という理由の羅列、光と闇の葛藤的なドラマが延々と繰り返され、自分を愛するという位置にも、自分と他者を同じように愛するという境地には行きにくいわけです。
自分の中の執着、ペタペタペタッと接着剤状態になっている場合は、愛したいと思っても、その総てをOK としたくても、愛したい、世界人類をみな愛したいと思っても無理難題です。
なぜなら「したい」という望みの状態から出てないからです。
その理由は自分の中に衝突または混沌、不条理があるままだから。
次のステップは「したい」から「している」状態、「なっている」状態に移行すること。
〝過去の出来事に囚われない〟というのも、意味はわかりますが、実質的にはわかりにくいですよね。
わかっているなら問題になることなく処理できているはずだからです。
執着の基本は、自分が今の視点で過去を振り返った時に、それを審判する、ジャッジメント=判断する、決めつける、色眼鏡的に一方的に思い込むことです。
そこには、良い悪い、もしくはネガティブ⇆ポジティブという角度が絶えず干渉します。
そこも囚われている、執着している状態なので、そこにピピピっと接着されている。
ネガティブ傾向に執着が傾く。ポジティブ傾向に執着が傾く。
ここは白か黒か、明暗をつける「審判機能」に関係します。
一体なにが、どうして「審判」しようとするのでしょう?
そして、その審判機能のベースは何なのでしょう?
執着は、顕在意識とまったく関係のないところでベースの考え方や性格に接着され、ビタビタとひっつき、どんどん粘着質になり、薄いセメダインから濃いボンドになり、そのうちに、さらに重たくなり、取れなくなる、剥がれなくなる、固まってしまう、そう簡単に取れなくなる状態に行き着きます。
ここまで来ると〝頑なな〟という表現が当てはまるようになります。
その種は一体なになのでしょう?
その仕組みはどうなっているのでしょう?
多くの方は、これらへの挑戦をマインドの力、考えでやろうとします。
私はマインドの力だけでは無理でした。
まず覚えておくべきことは、思考も感情も身体機能も習性の上で動くということ。
しかもオートマチック・自動で。
人間の全ては習性+自動性の賜物だということです。
〝感情〟は基本的に人間ボディーが作るものです。
人間ボディーに感情を作る機能が備わってなければ、感情を体験することはできません。
人間ボディーが感情を作れるから、感情を体験することはできるわけです。
リアルな〝感情体験〟は内分泌の各種ホルモンで多角的に作り出されます。
さらにそれが筋肉、反射神経と反応し、感情的になった時に、人間ボディーがそれを多角的に作り表現します。
また感情というのは、その時のフィーリングだけでなく、体感も含んでいます。
どのような体験であれ、人間ボディーは体験の総てを多角的に記憶する、記録、記帳します。
経験が多くなるほど、繰り返されるほど、それを延々と記憶し続けて、最終的にニューノーマルにしていきます。
感情は、記憶・記録を元に反応し、肉体によって作られ、自己創造され、表現されることで体験になります。
ボディ+意識のダイナミクスはそういうものなので、絶えず経験したものが落とし込まれ、覚え込み、それにさらに次のがあり、それを覚え込み、どんどんどんどん覚るわけです。
そのうちそれがニューノーマルになり、感情的にも考え的にも基盤の道筋が出てくるわけです。
思考・考えも大差はありません。
大脳生理学的な世界で、考え=思考は、脳が作った道のりで、その中をエネルギー走ります。
知らず知らずの内に、気づかないままに、すでに道筋が作り出され、走り道が引かれているのです。
固まった考え方を使い続ける、執着し続けることで、その道筋にエネルギーが注がれ続け、強くなり続けます。
次第に思考の動く道筋が自動になり、多角的に広く深く考える、思案せず、常にその道筋を通るようになります。
ここが自動処理・オートマチックなために、多くの方は自分の「思考の走る道筋」に無意識な状態です。
そのために自分の思考の、考えの檻、囚人になっています。
あなたの考えの構造、思考の形態は、一体どんな具合でマッピングされていて、どのような道筋で、どのように多角的に動くのでしょうか?
執着している状態の時は、その中にいるから、そういうことに気づくことができません。
その中にいるから、思考の檻の外を認識するのが極端に難しい、思考の枠組みの中で存在が薄い、新しい考えや視点などを作り出し、実行することができません。
次のステップに進むチャレンジは、自分の考えの外に出る、感情も外に出ることです。
〝自分の内面的な動きを眺めなさい〟ということです。
ヴィッサナ瞑想という、一週間一切誰とも話さず、自分と向き合うという修行があります。
自分とお近づきになる鍛錬法です。
自分の中の固執世界と、それに対する感情世界に近づき、誰とも会話しない瞑想生活の中で、それらを自分で眺め続けるという修練です。
完全に誰とも口を聞かない状態で、自分と対峙する。
自分と向き合うために必要な項目はなにでしょう?
まず自分の闇=習性と付き合うための、十分な時間を作ることです。
ヴィッサナ瞑想の場合は約一週間です。
誰とも話さず一週間自分と対峙し続けることで、自分の頭の中を知れますよ、場合によってはブレイクスルーできますよということです。
あなたは自分と向き合う時間をどれくらい自分に与えていますか?
自分自身と対峙する時間を設定してないのなら、その時間を作り出しましょう。
そこで瞑想各種という技法が有効になります。
時間がなければ瞑想するも何もありはしません。
まずは自分と対峙する、向き合う時間を確保すること。
週一や週二ではなく、毎日+最低20分は自分と一緒にいて、呼吸+瞑想を行いましょう。
普通の生活では、コミュニケーションを通じて色々なインタラクションや、シテュミレーションが続くので、思考も感情の動きも触発され続け、際限なく広がってしまいます。
そんな日常生活から一時的に離れ、とりあえず一週間誰とも話さず自分に向き合って瞑想しなさい、瞑想の中で自分の頭の世界、考えの世界、感情の世界なりを眺め続け、知る世界へ入るわけです。
そこまですると、自分がどのように考えるか、その癖がどういう世界なのかが、わかりやすくなっていきます。
人によっては、その渦中でパカーンと頭が気持ちよくなり、固執させている思考の迷路、思考の檻の中を延々と走り続ける、考え続ける状態から、少しなり、大きく離れた意識状態へ変わります。
これは大脳生理学の領域世界です。
なんでもありスピリチャルな曖昧さではありません。
これは重要なポイントです。
次のステップは、自分で気付いた、気付いている自分の感情なり、考え方、自動操縦パターンに取り込まれないこと。
そこから自分を離すこと。
感情は記憶によって引き出されるものです。
それを思い出した時に、何かがトリガーされ、自動的に考え、自動的に感情の表れとして出てくるものです。
その考えがそれになり、いい感じ方もそれに沿い、体感を作るわけです。
そこで一気に入り込んでしまうと、そこから逃れるどころか、自動的な反応、そのエネルギーが走る筋道をさらに上書きして、より強くし続けます。
毎日毎日、少しづつ続けて強化され続けます。
それが固執する、そしてさらなる固執を作る、硬い思考の枠組みを作る原因です。
固執がある、固執している状態は、ある意味で、それがないと生きていけない状態です。
そこにあるものだから、それが無くなるということも分からない。
それを許したい=その固執なり、自分の中の心の闇から自由になりたいと思っている人がどこまでいるかという別の疑問符もありますが。
どちらにしてもバシャール的に次元上昇したいのであれば、5つのステップを踏みなさいと言い、ステップはすべての他者を許す、その中には自分のことも入ってます。
外の世界は自分の世界のリフレクション=反映なので、自分を処理すれば、外は後からついてきます。
なのでステップ1的は、まず自分の内面に入り、今の自分がどのように作られているかをまず眺め、それを知ることです。
自分のことを自分で客観的になれる人はあまりいないと思うので、自分の言動の習性を人に聞きましょう。
あなたは、こういう時に、こういう発言をするわね、と、ジャッジせず、多角的、客観的に言ってくれる友人の観点を聞いてみましょう。
自分の中で何にトリガーされて言動が変わるのか、自分学習を始めましょう。
その次は、自分の中の中庸の位置を育て始めましょう。
全ては脳習性なので、新しい習性が根付き、ニューノーマルになるまで自分を鍛え直す、育て直すために自分自身と向き合い、自分に挑戦し始めましょう。
何を言われてもトリガーが入ってしまう状態は、すでに聞く耳を持たない、聞く耳がない状態です。
そのような意識状態では、誰が何を、どのような角度で言おうと、自分の中でカチンとスイッチが入って反応してしまう。
それでは他人の意見を受け取るどころではありません。
ステップ1は、どうすれば自分は呼ぶより落ち着いている、もしくは受け取りやすい、もしくは聞きやすい状態でいる。
いつもカッカカッカしてたら、リアクションですよね?
何か言われたら、またカチンときてしまう。
ここは瞑想を続けるなり、呼吸法を続けるなり、という具体的なエクササイズがあります。
まず自分という全体を沈静化するエクササイズを始めましょう。
ジョギングであれ、瞑想であれ、ヨガであれ、何であれ、まずボディーを使い始めること。
なぜなら、ボーディをトレーニングした方が断然に早いからです。
マインドとか感情とかをぐにゃぐにゃやるよりも、まずは自分のボディー、ボディー=馬、乗り物ボディーは馬だから、はっきりいって。
自分の乗り物を、どのように鎮静化するかです。
乗り物そのものがリアクティブ=過敏反応する状態だと、すべてがリアクティブになってしまいます。
取り込まれるわけです。
バイオロボティクス=生理学的なロボットを操縦する代わりに、それに操縦されてしまう。
たぶん多くの方は、すべては許しましょう、許したいんです、自分も許したいです、愛せるようになりたいです、過去の出来事に囚われないようになりたいですと、マインド=思考の枠組み、考えで、それを一生懸命やる場合が多いです。
が、悲しいことに、それはすごく難度が高いと思います。
ボディーを開いた方が圧倒的に早いです。
そこで、例えば、ヨガに関しては、ボディを開いていく、ナディを開いていきます。
リトリートに行ってインテンシブ=集中的にやると、ヨガ・シンドロームと呼ばれる感情の発露とが起きます。
感情がどんどんどんどん、中かから、だんだん出てきちゃって、ハァーーー!!
最後的にすっきりな状態へ作り変わってしまえます。
その方が圧倒的に早いと思います。
何度も言いますが、感情はボディが作るものです。
感情はボディが維持しているもので、感情はボディが蓄えている、格納しているもので、それが出てくるのです。
それが処理されればされるほど、今まで持っていた感情的なエネルギーが溶ける、開いて、どんどん流れていき、薄くなり、移動しながらリファイン・精錬され、リサイクルされます。
システムが立ち上がり、稼働するほど、感情的なリアクションに囚われにくくなります。
体内でスムーズに処理できるようになっていきます。
ボディーを開くこと。
ボディーを開く=経絡やナディを開く、エネルギーに関係するボディーを開き、エネルギー体を開いていって、経絡やナディーが多角的に開かれていくと、それまで滞っていたものが、ゆっくりと次第に還元され始めます。
ボディーが締まったままだと、頭で一生懸命やろうとしても、たぶん無理、すごく大変でしょう。
ここは地道に緩めるのが得策です。
ヨガなら陰ヨガで、ゆっくりペースではじめ、ゆっくりゆっくり進めていく。
あまり過激すぎるまたは早過ぎると、スッカーンとすり抜けてしまいます。
エネルギー時に引っかからず、奥まで入れないので、超ゆっくり、そして長めに行うのが効果的です。
太極拳や気功という方法もありますが、それらでさえかなり速い動きなので、エクセサイズヨガのレベルではなくて、ゆくゆっくり行いましょう。
時間的に超ゆっくりゆっくり伸ばしていって、時間をかけて伸ばす。
伸ばすときに一気に動かすとかすってしまいます。
ジワジワジワジワジワジワと超スローで行いましょう。
例えば45分のエクササイズの中で、超スローに行った場合に、いったいどれくらいのポーズができるのか何とも言えませんが、とにかく、ゆっくり行いましょう。
超スローにゆっくりやることで伸びきれる。
やり続けていくと、基本的にホルモンバランスであれ、神経伝達物質であれ、分泌系の働きは身体の中の生理学的な化学反応です。
そこには神経網とか、液状に流れる部分、内分泌的な流れ、血液、血圧、アドレナリンとかいろんなものが多角的にあります。
とにかく緩めていく。
ボディを開いていくと、感情が開かれていく、考えが開かれていきます。
クンダリーニ瞑想的に過激にやらなくても、地道に地道に行い続けるに従って、ボディそのものがシステム全体として、感情の記録、滞っているものを処理し始めます。
さらに、内分泌+神経伝達物質、神経線維や筋肉、筋などのストレスは、首周辺や頭部と関係し、思考回路とも繋がっているので、身体全体が開かれることで頭の中も開いていきます。
全てが理想的に流れる、フローすることで頭が気持ち良くなり、鬱っぽさ、頭の中の霧などが晴れはじめ、爽快な状態へと変化しはじめます。
経絡の滞りを解消して流れを整え、活性化する鍼治療も効果はあります。
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