覚醒の行で覚醒できない理由

☆覚醒の行で覚醒できない理由 ☆BOOK M:Mの書 ☆意識の方向性

☆カーラチャクラ

☆覚醒を理解するための鍵

過去の偉大な覚醒者たちの共通項は?

☆覚醒の完成図



☆覚醒の行で覚醒できない理由・2016/12/04


「グランドフェース」に関連した覚醒に関する質問がブログ読者の方から届きました。 ☆ まかウラさんのブログにある「グランドフェース」の記事を興味深く拝読させて頂いてます。

密度が上がると意識も向上するというのは分かりました。 ただ、ネガティブ意識等に気づいた時には、自分からアプローチしてポジティブ意識に変える努力は必須ということなのでしょうか?

それとも、ポジティブに変えようとする意識が、密度が上がった証拠になるのでしょうか?

つまり、努力しなくても自らポジティブ意識に自然と向かうというような捉え方なのでしょうか?

というのも、個人的にタオの世界で伝えられている覚醒の行を始めてみたのですが、3年の行の修行者のエゴが拡大している様を観て、それに気づき修正するのは「行」では無理で、自分の意識で行うしかない。 つまり、行だけではエゴが消滅しないと現段階で結論付けたのですが、まかウラさんのグランドフェース記事を読んで、やはりネガティブ意識やエゴ意識の領域の変容はワークや行だけでは現段階では無理なのかと感じたのです。

エゴの崩壊を経験されたまかウラさんに是非解説して頂きたいです。 覚醒の行で覚醒できない多くの人の大きなヒントになると思います。

どうぞ宜しくお願い致します! ☆ 世界中には数多くのスピリチュアルな教えがあります。 ミステリースクール(エジプト) ユダヤ教(カバラ) インド哲学+ヴェーディック+ヨガ

仏教 チベット密教


バラモン教

キリスト教(イエスの教え)


中医学・気功の世界観 道教(ダオ) エソテリック(秘教・主に薔薇十字の世界観) 様々なネイティブ文化の世界観とその教え ケルト・北欧圏の世界観などなど・・・。 これらの教えは過去何千年にも渡って引き継がれ、今でも星の数の人々の日常生活の中で精進されています。 世の中の数え切れない人々が、これらのスピリチュアルな教えを信じ、それに基づいて様々な努力と精進を積み重ね続けているわけです。 なんて凄い世界観なのでしょう。 人類の全てが意識の覚醒を目指しているかと問われたら、大多数は意識の向上にさほどの重きは置いてないでしょう。 人類の大多数が意識の向上や目覚めに重きを置いているのであれば、現在の世界情勢はありえません。 人間性の向上や、意識の目覚めを目指している人たちは憶測できないほどだと思いますが、そうでない人たちの数の方が遥かに多いということです。 そんな中で多くの人たちが覚醒を目指しているわけです では「覚醒まで辿り着けない最も大きな理由は何なのか?」と考えたことがあるでしょうか? どうして何千年もの歴史を持つスピリチャルな教えが功をなさないのか? まず第一に理解したほうがよいことは、それらの教えそのものが、文字通りに何千年前のもので、極端に古いものだということです。 それらの教えは何千年前の世界観や倫理観、その時点での理解の範囲で説かれたものです。 例えばキリスト教の「聖書」を例にして書いてみます。 今でも聖書を盲信している方々は星の数ほどいらっしゃいます。 キリストの教えの部分に至っては約2000年前のものです。 旧約聖書に至っては、それよりも遥かに太古の昔に書かれたもの。 ウン千年前の世界観で書かれた書物、しかも数え切れない程に編集されているものを今でも疑問を持たずに盲信していること自体が不自然だと思ってないようにみえます。 現在とウン千年前の世界観がどれだけ違うものなのか??? 想像の中でなんとなく察することができますが、実質的にはタイムスリップしてウン千年前に戻ってみなけば、そのダイナミクスはわからないでしょう。 その時代に生きていた人たちの世界観はいったいどういうものだったのか? 現在と同じように野蛮な方向性が強かったのは明らかだと思います。 罪を犯した人たちに石を投げ続けて殺したり、十字架にかけて槍で突いて生殺し・・・。 なんて野蛮な・・・と思いがちですが、これは今でも引き継がれていますよね(笑) こういう意味では、古代も現在も人間性は然程は変わってないように見えます。


しかし現在では、以前にも増して次つぎと意識が目覚め始めている人たちが増え続けているのは確かです。 古代の世界観に関しては、ワタシの1冊目の著書「聖なるハワイイ・ハワイアンのスピリチュアリティー」を書いている時に思ったことがありました。 古代ハワイアンの宗教的+スピリチュアルな世界観も、その他の教えと同じように難解極まる世界です。 ある意味で「なぞナゾ」な世界観・・・。 古代ハワイアンの文化には書き文字が存在しなかったので、すべては口伝えで世代から世代へと受け継がれてきたものです。 古代ハワイアンの口伝えは、とても厳格に、その通りに覚えなければいけない掟で維持されてきたわけですが、それも時代の変動の中で趣を変えています。 キリスト教の本格導入を皮切りに古代ハワイアンの宗教は廃止され、さらに異国文化の宗教的な影響を受けています。 単純に察して、現在の古代ハワイアン文化に関する見地は、どこからどこまで純粋に信じてよいものなのか・・・?  正直なところ、莫大な疑問符で埋め尽くされているとしか書きようがありません。 古代ハワイアンの神話世界に至っても「これってキリストの奇跡の行いに似てますよね・・・」な場面がどれほど多いか・・・。 現在の私たちの生活の中でも、口伝えというものほど正確性が低いものはないと思います。 口伝えなわけですから、人から人へ伝わっていく間に少しづつ変化してしまうのが一般的です。 しかも伝える人の解釈によって意味が変わったりする可能性も多々あります。 編訳されてしまうということです。 ロスト・イン・トランスレーション:通訳の段階で何かが失われてしまうのです。

これは古代エジプトならびに、古代ギリシャの神話世界にも同じような特質・傾向がみられます。 今でも世界中に古代エジプト+古代ギリシャの神話世界を信じている人たちは数え切れない程いらっしゃります。 これも考えようによっては凄い世界観です。 現在の頭脳で理解するには不具合が高すぎる世界観であるにも関わらず、それを何とか理解しようと努力し続けている。 ここでの重要点は、現在の人類の知恵+知識+知性と、ウン千年前の人たちの知恵+知識+知性が違いすぎることです。 古代ハワイアン世界にしろ、古代エジプト+古代ギリシャの世界観にしろ、現在の頭の仕組みでは容易に理解はできません。 その理由は現在と古代の頭の仕組み=考え方、世界観や、宗教観などが違うからです。 それに加え、現在と古代の間には「大洪水」というものがあり、これを境にして世界中の古代文化は架け橋を失ってしまっています。 端的に書いてしまうと、現在のスピリチュアルな教えの中で、誰でも覚醒に導けるほど完全であるものは存在しないと思います。 その理由は、ウン千年と精進され続けているのに、その中で覚醒する人が極端に稀だからです。 これまでの覚醒に関する世界観は確率性が低すぎますよね。 確率性が低いということは、それだけ完全ではないということ。 これらの教えが完全なものであれば、誰でも精進すれば比較的に無理なく覚醒の位置までたどり着けるはずだからです。 世の中の大多数がキリストやブッダになってしまったらどうなるのでしょう? 世の中にキリストと仏陀が溢れてしまうと困るのはどういう人たち? これを逆さまに考えると、誰でも簡単に到達できないように処置されているという書き方もできます。 失われている何かが多すぎる・・・? または意図的に隠されている・・・? もしくはその両方? では、現在の地球に「覚醒に至らせる完全な教え」が存在するのか? まか〜ウラ的な多次元脳の視点では「YES」だとしか言いようがありません。



☆BOOK M:Mの書 わたしは見えない学校に属する、見えない先生方から個人授業を受けています。 過去ブログでも何度か「M」のことは書いてあります。 「M」の先生たちは私たち人間を超えている方々で、人ひとりを覚醒に導ける知識と技術を体得していらっしゃいます。 「M」世界は不可視な領域で、書物や実在する人物たちではないなわけですが、ではそれ以外に教えが存在しないのか? わたしが認識している限りでは、イラン高原のどこかに住んでいる部族が今でも完全な教えを維持しているハズです。 このことはダスカロスの書籍の中でも何度か記述されています。 その他に書籍として覚醒にいたる内容の教えが存在しているのか? これは憶測ですが、あるハズなのです。 「BOOK M:Mの書」 これは薔薇十字の創始者と言われるローゼンクレイツ氏に関するものです。 オリジナルはラテン語の書籍で、今でも探しているのですが、未だにたどり着いていません。 色々と調べたのですが「Mの書」に関する記事は少ししか見当たりません。 Then he traveled to ‘Damkar’ in Arabia, where he studied under a group of wise men ‘to whom Nature was discovered.’ These wise men had been expecting Rosenkreuz. They taught him Arabic, physics, and mathematics, and introduced him to the Book M, which contained the secrets of the universe, and which he translated into Latin. http://watch-unto-prayer.org/TR-20-christian-rosencreuz.html 彼はダムカーに旅し、そこでセージ達の元で勉強しました。これらのセージ達はローゼンクレイツの到着を待ち受けていたのです。彼らはローゼンクロイツにアラピア語、物理学、数学を教え、ユニヴァースの秘密を含んでいるMの書へと導き、彼はこれをラテン語に翻訳した。 探しても見つからない書物に期待するのも難なので、それ以外に方法はないものか? 覚醒に導くための完全な書物は見当たりませんが、世界各国に散らばっている教えを合体させれば近くなります。 中医学の氣と経絡の世界、ダオの丹田世界、ヴェーディックのチャクラ世界 しかし、それでも遥かに遠い感じになるでしょう。 その理由は、上記の世界観はものすごい数の人々が精進しているにも関わらず、たどり着きにくいから・・・。 では一体なにが失われている、または付け加えられなけれはいけないのか? これらの鍵を持っているのが以下の項目です。 ・量子物理学 ・ノエティック科学 ・ニューロサイエンス:大脳生理学 ・解剖学 これらを付け加えれば、カナリ完全な内容になると思います。 次はこの部分を段階的に書いてみます☆



☆意識の方向性・2016/12/11


まずは読者からの質問の上半分から始めてみます。


「密度が上がると意識も向上するというのは分かりました。ただ、ネガティブ意識等に気づいた時には自分からアプローチしてポジティブ意識に変える努力は必須ということなのでしょうか? それとも、ポジティブに変えようとする意識が、密度が上がった証拠になるのでしょうか? つまり、努力しなくても自らポジティブ意識に自然と向かうというような捉え方なのでしょうか?」 コンシャススフィア(意識の球体)の波動密度が上昇すると、それに従って意識の密度も上昇します。 なぜなら意識と波動=エネルギーは同じものだからです。 波動=エネルギーは意識でできています。 現在のスピ系エクササイズの多くは、体の内密度に焦点を当てたものがほとんどです。 概要としては、中医学の経絡、体内の氣の流れと質、ヴェーディックのチャクラやナディー、それに付随してエーテルボディーがあります。 エーテル域は部分的に外密度の領域にもありますが、基本的には肉体内のエーテル密度の延長なので、完全な外密度とは言い切れません。 現在主流のスピ世界では、体の外密度=オーラ全体の波動密度のことはホボ示唆されてないのが現状です。 コンシャススフィア:意識の球体の波動密度の上昇を教えているのがエネルギーヒーリング基礎コースです。

▲エネルギーヒーリング基礎コースの詳細はコチラ


コンシャススフィア=オーラの波動密度を上昇させると、その中に含まれている全てのものも波動を上昇させます。 しかし体の内密度を上昇さる場合は、それで体の外密度の波動を上昇させるのにはカナリの無理があります。 その理由は体積比が遥かに違うからです。 体積比が遥かに巨大なコンシャススフィアの密度を上昇させる方が、より楽に体の内密度を上昇させられます。 体内へのフォーカスを体外に移すだけで、大きな違いが生まれるのです。 次に意識の状態ですが、基本的に3つの段階があります。 ・ネガティブ意識 ・中立な意識 ・ポジティブ意識 これは意識の方向性みたいなものです。 波動密度が上昇すると、ネガティブ優先な意識であれ、ポジティブ優先の意識であれ、どちらも密度をあげることになります。 単純にエネルギー値の密度が上昇すると、意識の力は強くなります。 ネガティブ意識の強い状態で、体内または体外の波動密度を上昇させると、それに従って自分の内面のネガティブ性も強くなります。

ポジティブ意識が強い状態で波動密度が上昇すると、それに従ってポジティブ意識が強くなります。 意識の進化または成長という観点からでは、ネガティブ意識からポジティブ意識へと上昇する過程で、自分の意識状態を中立的な位置まで引き上げる必要が生まれてきます。 自分自身のことを客観的または達観した視点で捉えることができる意識状態に到達するとによって、自分のネガティブ意識を認識できるようになるからです。 波動密度が低い・浅い意識状態だと、中立的・達観的な意識の状態まで上昇するのも大変です。

意識の波動密度が上昇していく=全体的なエネルギー値が上昇すると、それ以前よりも遥かに多くのエネルギーを様々な方向性で使えるようになります。 波動=エネルギーの体積比が高くなればなるほど、エネルギーを使って変化を起こせるようになるのです。 コンシャススフィアの波動密度が上昇していく段階で、意識の全体性はより目覚める傾向が強くなります。 その傾向の中には、サイキック的な感覚と肉体感覚の変化+成長も含まれます。 意識の密度が高くなるに従って、各種のサイキック感覚の成長も上昇し始め、感覚そのものが全体的に上昇していきます。 その中で引き起こされていくのが意識の成長を通じた段階的な目覚めです。 意識を目覚めさせるにも波動:エネルギーが必要になります。 あまりにもエネルギー値が低すぎると、まともに考えることも不可能な感じに思えますが、エネルギー的に理想な状態だと明確に考えられますよね。 私たちが普通に行っている、考える、何かを決める、想像する、ふり返る、イライラする、楽しい、悲しい、などの感情的、またはメンタル的、そして精神的な行為は、エネルギーによってなされ、極度にエネルギーが低ければ、それらのことすら容易にできない状態になります。 意識の密度の上昇=エネルギー値の体積密度が、意識の成長または目覚めの速度に影響するわけです。 意識の成長または目覚めと密接に関係しているのが、内面のネガティブ性=ネガティブ・エゴです。 意識が上昇を始めると、内面のネガティブ自我に対する気づきが強くなります。 内面のネガティブ性に気づき始めると、それによる精神的なストレス=内面の葛藤が派生し始めます。 極度にネガティブな傾向が強い状態は誰にとっても心地よいものではないからです。 現時点では去年とは遥かに地球全域の波動密度が上昇しているので様々なことが多発的に起きています。 巨大な光が投入されているわけですから、それに反応してネガティブな側面が浮き上がりやすくなっているからです。 比較的に内面のバランスの良い人たちは、自然な成り行きで、自発的に物事をポジティブに捉えることができるように引き上げられていきます。 これは自分の中のネガティブ意識とポジティブ意識の配分によります。 ネガティブな重みが低いほど意識としては軽いわけですから、楽にポジティブ傾向へ移行できるでしょう。

「ポジティブに変えようとする意識が、密度が上がった証拠になるのでしょうか? つまり、努力しなくても自らポジティブ意識に自然と向かうというような捉え方なのでしょうか?」 ポジティブ密度が上昇していくと、ポジティブな精神性へ引き寄せられていくので、とても自然な流れととらえることもできます。 では自ら努力しなくても良いのか? と聞かれたら、それは疑問符です。 努力しなくても地道にカタツムリが動くように進んでいくと思いますが、その速度は極度に遅い感じでしょう。 精神性だけでなく、実質的な日常生活の中で全く努力をしない人と、常に努力をしている人が生み出す違いはどういうものでしょうか? 人生は努力しなくてもそれなりに進んでいきますが、努力をすると違った感じで進んでいきます。 そしてこの部分は潜在意識レベルの思い込み状態にもよります。 潜在意識の奥深い部分で、努力しなくても全ては完全に問題なくスムーズに進んで行くと覚えていれば、その傾向で進んでいくでしょう。 しかしマインドでそう信じていても、潜在意識のコア部分でそれを覚えきってなければ意識の衝突が生まれ、マインドで考えたようには進んでいきません。 この部分がトテモ分かりにくい部分だと思うので、次の記事で深く書いてみます。



☆カーラチャクラ・2016/12/12


まずは、どこと何を称して「覚醒」というのか・・・?

これも奥深いというか、人によって解釈や想像の域が違うと思います。

トドの詰まり「覚醒」の度合いを図る尺度がトテモ曖昧というか、あまり無い感じとしか書きようがありません。

たぶん世の中の多くの方々は、過去の覚醒した偉人たち、イエスキリストや仏陀などを想像するのだと思います。

スピ界だとセントジャーメンとか、ダスカロスとか?

覚醒に対する視点もカナリ広いもので、どこをどう捉えるかによって趣が大きく変わると思います。

現在での一般的な覚醒のイメージは、チャクラが全て開いた後にクンダリーニが上昇して、覚醒の境地に至るという具合のものではないかと思うので、まずはチャクラ世界観を基盤にしながら書き進めてみます。

まず第一に、チャクラ観にいたっては、これは多くの方が仕組みをよくわかってないようにみえます。

一般的にチャクラは7つあり、第一チャクラから第七チャクラと段階的に上昇させながら開いていくのが理想だと説かれています。

なので多くの方は第一チャクラから始め、第七チャクラへと向かっていきます。

各々でチャクラの状態が違うので精進の過程でカナリ紆余曲折すると思いますが、最終的に全てが開花するように精進するわけです。

まずここで問題なのは、第一から第七まで段階的に下から上へと上昇させなければいけないのか?

いえいえ、そんなことはありません。

最も理想的なのは、第一から第七までを一気に同じように上昇させることです。

七つのチャクラ波動の密度を一気に同じように上昇させることができれば、チャクラ間のどこかで衝突するという危険性は極端になくなります。

この部分が一般的に理解されていないのは、チャクラとそれらを縫合しているコンシャス・スフィア=オーラとの関係性が説かれてないからです。

一般的なチャクラ観ではチャクラと肉体部位との互換性は説かれていますが、体の外の部分、オーラ=コンシャススフィアとの関連性は一般的に示唆されていません。

ヴェーディックのチャクラ観は、チャクラとナディ(経絡)と肉体部位は関連づけされていますが、肉体の外の部分に関してはアイデアが薄く、教えの中で重要な位置にありません。

過去記事でも書きましたが、ヴェーディック世界にオーラの概念が全く無いのか?と聞かれたら、なんとなくそれらしきものがあるようですが、大多数の方々はそこに重要性を見ていません。

この部分はチベット密教的な世界観にも同じような感があります。

例えば、カーラチャクラ Kālacakra Tenfold Powerful symbol に関しては、これは見る限りオーラ+エネルギーシステムの構造を描いているとしか思えません。

International Kalachakra Network

http://kalachakranet.org/kalachakra_tantra_10-fold_powerful.html

まず、このカーラチャクラのKālacakra Tenfold Powerful symbol を簡単に説明してみます。


カーラチャクラのTenfold Powerful symbol のデザインは、総体性を形として現したものです。


まず一番外側の枠の部分ですが、解説では「Protective Fire Ring・炎の保護の環」と呼ばれ、マンダラの最も外側に位置する叡智の輪を表していると書かれています。

これを翻訳し直すと、オーラ外側の枠の部位は、叡智の輪と呼ばれ、そこに到達するのが最大の目標だということです。


こちらの構図はホボ同じですが微妙に描かれ方が少し違っています。

宗教芸術で微妙な部分は、年代やアーティストによって表現の仕方が違うことです。

これも口伝えと同じようなもので、世代や描き手が変わる段階で、簡約化・簡略化を含め、ロストイントランスレーション・編訳されてしまうのが常なようです。

なので最も古いと言われるものを見つけ出さない限り、そこには編訳が付きまとっている可能性が高いといえます。

こちらはカーラチャクラの立体版ですが、これも基本的な構造は同じです。

立体版をよく見てみると、オーラの炎と称される層の中にもシンボルが組み込まれています。

基本として、底にある蓮の花の部分は第一チャクラ、頭頂の突っ張り部分が第七チャクラ、縦軸の左右の層にそれぞれ5つのシンボルが組み込まれています。

これは左側が肉体の前面、右側が肉体の背面を示唆したものです。

チベット密教でチャクラ観はさほど説かれませんが、ここにはシッカリとチャクラに通じる理解が明確に刻み込まれています。

チベット密教は、オーラ=コンシャススフィアの概念を持っているということです。

これをさらに分解して読み込んでいくと、幾つかのボディーが明確に描かれているのがわかります。

最も中部の複雑な図はボディーのひとつです。

それを含んでいる、さらに大きなボディーがあり、そこに境界線が描かれています。

そのさらに外側に別の境界線があり、その中に別の小さなシンボル=チャクラが組み込まれています。

内境界線と外境界線の間にチャクラと互換性を持つシンボルが置かれているのです。



次にもっとも中にある複雑な図柄の部分ですが、これはエネルギーシステムの構造=回路を表したものだとしか思えません。

この部分はLANTSA・ランツサまたはRANJANA・ランジャナ・キャラクターと呼ばれるそうです。

これは中医学の経絡に近いものだと思います。

こちらも基本的に七つの回路で構築されています。

興味深いですね☆

これは各々のチャクラと脳の間を繋いでいるエネルギー回路の構図を表したものでしょう。


単純なはなし、世の中の大多数の方々は肉眼で見えるないなら、そこには何もないと思いがちですが、実際にはそうではありません。

過去になんども書いていますが、波動の高さというよりも、波動の密度の上昇が重要です。

そしてチャクラの密度を上昇させても、それより外側の密度を上昇させるには無理がありすぎます。

その理由は体積的に巨大すぎるからです。

しかし、その逆にチャクラを包み込んでいるオーラ全体の波動密度を上昇させることができれば、チャクラも自動的にオーラ内の密度の上昇に沿って密度をあげることになります。

こちらのエクササイズはエネルギーヒーリング基礎コースで☆



☆覚醒を理解するための鍵・2018/8/2


覚醒できない理由の最も大きな原因は、波動密度の浅さです。


次に巨大なのが覚醒に至るまでの行程、構造=仕組みが明確にわかってないこと。


仕組みの不明確さのために「スピリチュアル」または「神秘」+「秘教」が幅を利かせ続けています。


覚醒はスピリチュアルなもので神秘的、それは秘教の世界という定義です。


確かに人間を超えた世界=見えない世界が関与する傾向はありますが、絶対にそうなわけではないとわたしは思います。


これに絡むのが覚醒に挑戦する人の意識の状態または位置。


2000年前と600年前と現在では総体的な世界観+科学観が違います。


2000年前+600年前、またはどのような年代の教えであれ、科学的な理解の部分は現在には勝りません。


太古の世界には大脳生理学的な理解はホボ存在していなかったでしょう。


古代エジプト文明の中には、脳内物質のことを示唆していると思わせるものが多々ありますが、その他の文明では現在の大脳生理学と匹敵するほどの理解があったとは思えません。


古代世界で顕著だったのは「シャーマニズム」+「超自然世界」です。


古代世界の方向性は、人間にはわからない世界、または、人間を超えたものは全てが「超自然」なものだったように見えます。


チベット仏教に至っては、瞑想状態の鍛錬の中で、脳周波数という世界観を理解していたようですが、それも現在のような科学的な世界ではなく、体験を通じたものだったでしょう。

覚醒を目指した修行の多くは各種の「瞑想」を説いているようにみえます。


「瞑想」=「脳の状態を変化させる」=マインドテクニック


その他のファクターとして様々なエクササイズ=鍛錬があります。


鍛錬の多くは肉体的なエクササイズで、その傾向は気の強さを高める傾向のものです。


「鍛錬修行」=「気の力を高める」=エネルギーテクニック


これを合体させると、マインドテクニック+エネルギーテクニックという図式が浮き上がってきます。


この二つの動向でさえ曖昧さがつきまとい、明確に構築さているわけではないので、そこにも「スピリチュアル」+「神秘」+「秘教」というものが持ち込まれ気味になります。


そんな世界観の中で覚醒を求めるわけですから、誰でも簡単に覚醒まで到達しなくて当然です。


覚醒への道の第一歩は、この「不完全性」に気づくことです。


次のステップは「不完全」なものをどうすればより完全に近づけることができるかを「考える力」です。


前のカーラチャクラで解説したように、カーラチャクラのデザインの中には明確にエネルギーの動きが現されています。


古代エジプトの芸術も同じで、そこに多角的に脳内世界が現されているにも関わらず、そこに結びつけて考えられないのはなぜでしょう?


多くの人がそれらを見抜けないのはなぜでしょう?


既成概念=思い込みが強すぎるからです。


「こういう風に説かれているから」「こういう風に練習または鍛錬すると説かれている、そうしなさいと教わったから」


ある意味で純粋だと、それを丸まま信じてしまうわけですが、実際にはそう簡単に進んでいきません。


覚醒へ導いてくれる鍵は世界の至る所に散りばめられているのですが、世界観が狭すぎると、それらの鍵が見えてきません。


まずは視野を広げること。


盲信するのではなく、ポジティブな疑問を持つこと。


何事にしろ、何かを達成できないのは、達成するための何かの部品、情報、技術などが欠けている場合がほとんどです。


何が欠けているかを考える力が必要だと覚えましょう。



過去の偉大な覚醒者たちの共通項は?


覚醒体験は、ブッダやキリスト、モーゼなどの話に触発されている場合が多いのですが、これらの過去の偉人が生きていた世界と現代世界では状況が同じではありません。


そしてブッダ、キリスト、モーゼの3人が体験したと言われる覚醒体験の背景には共通項があります。


彼らは断食的に自然の中を彷徨い、命からがらのところで覚醒体験をしていますよね。


この3人は死の寸前まで自分を追い込んでしまっています。


ここで見えてくるのは「肉体の極限」です。


肉体が極限を迎えるとどういう体験が起き得るのでしょうか?


以下の3つ体験が候補として挙げられます。


・幻視または幻覚


・意識の分離(トランスパーソナル)


・臨死体験


では上記の項目を引き出すのは人間の構造の中でどこになるでしょうか?


それは「脳」+「脳を支える、維持する器官」です。


人間が極限的な状態に達すると、脳が開かれる傾向が強くなります。


肉体が脳を守ろうとするのです。


これは生理学的な機能で「スピリチュアル」ではなく「メカニズム」です。


幻視、意識の分離(トランスパーソナル)、臨死体験の先に待っているのはスピリチュアル世界ですが、その前まではメカニカルだということです。


まずはこの部分をスピリチュアルと勘違いしないこと。


次に、脳を開くのは基本的にはエネルギーです。


この「エネルギー」というのも現状ではスピリチュアル〜で済まされがちですが、そうではありません。


ここで「脳を開く」+「エネルギー」という図式が現れます。


「エネルギーが使われて脳を開く」は多角的に分解することができますが、この部分はややこしくなるので別の機会に挑戦してみます。


3人の偉大な聖者たちは肉体を究極の状況に持ち込むことで覚醒まで至っていますが、必ずそうしなければ到達できないのか?


そこで浮かんでくるのが「脳が開かれる構図=構造と経路+エネルギーのヴォリューム」です。


普通の状態では脳は開かないわけですから、それを意図的に開くためには何かに働きかける必要が生まれてきます。


そこで必要になるのが「設計図」または「指示書」のような類のものです。


「覚醒の設計図」や「覚醒の指示書」はスデに様々な文明の中に残されているのですが、残念なことに多くの方が見落としています。


その一つが前に登場した「カーラチャクラTenfold Powerful symbol」です。



☆覚醒の完成図


このカーラチャクラを意訳すると「完成図または完成した姿」というのが妥当な意味になるでしょう。


この状態を作り上げれば、その境地へ辿り着けますよという教えです。


「覚醒の完成図」はカーラチャクラだけではありません。


その他にもいくつか存在しています。


この部分も興味深いので、別の機会に挑戦してみようと思います。


覚醒の完成図はあるわけですが、そこに達せない理由の一つにエネルギー不足があります。


普通のエネルギー状態では覚醒できないわけですから、エネルギーの量なり質なりが変化する必要が見えてきます。


そこで説かれるのがエネルギーの向上を目指す「気の鍛錬」や「瞑想状態」です。


エネルギー的な状態を変化させることが基本になっています。


・気の鍛錬=気の強化+向上 → 全体的にエネルギーを強くする、貯蓄して回転させる術


・瞑想状態=気の制約+集約 → 基本的には脳へエネルギーを届ける術


上記の二つを精進精進し続けても覚醒までの道のりは遠いのですから、ここにも問題があることが説かれています。


ではその問題はなになのか?


それはエネルギーの量=ヴォリューム=密度です。


どうすればエネルギーの量を増すことができ、密度を高めることができるのかわかれば、もっと速く達成に近づけるわけです。


気の鍛錬にしろ瞑想にしろ、気=エネルギーを集めて集約する、貯蓄したり節約するのが基本ですが、それ以外に方法はないのでしょうか?


ここが全てのミソになります。


足りないから集めたり、源に接続したり、節約するではなく、足りないのであれば、借りてくるのではなく、創ればいいんです☆


エネルギーを作り出すことを知り、それを実践し、創り続ければ状態は変化し続けます。


この部分はエネルギーヒーリング基礎コースなり、ライトボディアクティベーションなりを通じて育てていくことが可能です。


では次の「どうすれば覚醒に近づけるか?」は別角度で覚醒について書いてみます。

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© 2015 by Hiroshi Makaula Nakae

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