アセンション+グランドフェース③リアリティーの目覚め

リアリティーの目覚め・2016/09/25
これまでのグランドフェース情報は、認識の変化の基本となるアイデア的な内容、ニューエイジ的な世界観というよりは、心理学的なアプローチが基本です。
一般的な心理カウンセラーとのセラピーは、トークセラピー:話ながらのセラピーが一般的ですが、EFTタッピングを導入したセラピーも浸透し始め、グループダイナミクスで行うものなど、セラピー世界も以前と比べるとカナリ進化していると思います。
コグニティブアクティベーション:認識の活性化療法とビヘイビアー・アクティベーション:習慣の活性化療法は、両者とも比較的に新しいツールですが、アメリカで実際にセラピー・ツールとして導入されているものです。
わたし的にはコグニティブアクティベーションとビヘイビアー・アクティベーションの理論と構造を理解するのに難度はありませんでした。
カウンセラー曰く、普通の人は理解するのにトテモ時間がかかるのだそう。
ワタシ的には、すでに知っていたというか、論理的に説明され「やっぱりそうなのね・・・」的に確認させていただいた感じです。
自分の観点や理解がアカデミックな世界とマッチしていることを知れてよかったと思います。
認識の活性化療法と習慣の活性化療法は、自分で自分の認識や習慣を変えることができるということを教えてくれます。
よく「考え方を変えなさい」とか「ものの見方を変えなさい」といいます。
わたしもこれまでの人生の中で散々と聞かされてきました。
その度に「簡単にそう言われても、どうやって???」と思ったものです。
言っている意味はわかります・・・しかし、そう簡単に変えろと言われても・・・。
変える方法がわからないのが問題なんですけど・・・?
「考え方も、言動も癖なので、こういう風にすれば、こういう感じでポジティブに変わっていくから試してみなさい」と言ってくれれば遥かに速く変わることができたと思います。
ようは伝え方の問題で、これも認識に関係します。
グランドフェースは認識を変化させることが目標です。
グランドフェースのことを知らされた時は、なんじゃらホイ? なワタシでした。
その時の自分の理解をはるかに超えているのはわかりましたが、具体的には「?マーク」の連続でした。
ちょうど5D:第5波動密度世界への突入が頻繁に語られるようになった時期です。
5Dを明確に意識し始めて気づいたのがESP感覚の変化でした。
自分の生活の中で多角的にシフトが起き始め、途中で自分の中のESP認識が明確に変わり始めているのに気づきました。
今まで様々な意識のシフトを経験してきましたが、今回はこれまでとカナリ趣が違うのは明確で、自分自身を疑ってしまうことも多々あったのです。
ESP感覚はコグニション:認識に関係し、アカデミック世界でも「メタ・コグニション」という言葉があるくらいカナリ突き進んで研究されています。
ESP感覚が発達している人たちは、一般的な人たちとは違った電算処理をしています。
エスパーの場合、感覚を通じた情報処理が速い傾向にあります。
ESP感覚は一人ひとりユニークなもので、その人によって違います。
基本的には、認識の角度や、認識の域、認識の幅、認識できる密度などの違いです。
ここで勘違いしていただきたくないのは、ESP感覚が発達している人たちを別格視しないこと。
なぜならESP感覚が発達している人たちと大多数の一般の人たちの肉体的な構造は全く同じだからです。
生理学的な違いはありません。
よく「わたしにはESP感覚などありません」と言う方がいますが、それは思い込みで、ESP感覚を使ってない人は誰一人いません。
誰でもESP感覚を使って生活しています。
ただそれを認識してない、気づいてない、または認めてないだけです。
自分の可能性を信じていないと書き換えることもできます。
現在まで数え切れない数の方々にESP感覚開発を教えてきましたけど、誰でも開発できる類のものです。
しかも比較的簡単に発達させることができます。
自然に開発された人は目立ちますが、意図的に開発した方々、学んだ方々も大勢いらっしゃいます。
ESP感覚は誰でも開発可能で、発達させることができるものです。
ESP感覚が発達している人たちは、より繊細な領域を、広域で、多角的、そして立体的に処理できるようになっています。
ESP感覚が発達している人たちと大多数の一般の人たちの違いはなになのか?
認識の違いです。
これは現在主流のバイナリー方程式と、フォトンコンピューター的方程式の違いのようなものです。
バイナリー方程式は二次元的:直線的な世界で、フォトン方程式は立体的なものです。
ESP感覚の発達は、チャクラや経絡の開き具合、クンダリーニの上昇具合とその波動密度と関係します。
すべては「波動の密度=意識の密度」の違いです。
意識の密度が、浅いか、または濃いか、それぞれの密度内での周波域によって体験するリアリティーが変わります。
ESP感覚が発達している人たちは、基本的にはそうでない人たちと同じ現実世界の中にいますが、少し趣の違うリアリティーの中に生きています。
もっと微細な領域も認識しているのです。
リアリティー認識の、幅や奥行き、密度が同じではないので、さらに多角的に体験しています。
グランドフェースは地球の密度の上昇の中で進んで行きます。
そして地球全体の密度の上昇は、私たち人類の意識の密度の上昇に働きかけます。
その中でリアリティーの傾向は立体的になっていきます。
それは私たちの意識が平面的な意識の状態から立体的な意識の状態へと変化していくからです。
私たちの意識の密度が上昇すればするほど、リアリティーが多角的+多層的な世界へと変化します。
リアリティーの微細さ、奥深さ、リアリティーの密度に気づき始めます。
この領域に入っていくとどうなるのか?
自分の中でリアリティーが目覚め始めます。
リアリティーの目覚めと書いてもピンとこないかもしれません。
現在よりも意識が目覚めている状態になるわけですから、より目覚めているリアリティーの中に入るわけです。
目覚めたリアリティーというのも判りにくいかもしれません・・・。
リアリティーは意識でできていてます。
意識が立体的になると、リアリティーも立体的になっていきます。
この過程の中で、リアリティーが自分と直接的にインタラクションし始めます。
立体的な意識
「立体的な意識」と「リアリティーの目覚め」の両者は相互関係にあるので、まず「立体的な意識」の方から書き始めてみます。
いきなり「立体的な意識」と書かれても疑問符が行列をなしてしまう方もいらっしゃると思います。
それに加え「意識」という言葉は知っていても、何となくわかったようで、でもナンじゃらホイ?な方もいるでしょう。
意識という言葉は、とてもアブストラクト:抽象的な表現だとしか書きようがありません。
なぜなら、現在の科学力または医学的+精神学的な観点では、意識というものは未だに明確に定義できない類のものだからです。
アカデミックな世界でも意識に関する研究は飛躍的に進んでいます。
すでに量子物理学の世界観では意識と物質の互換性を見出しています。
なので将来的には意識に関する研究も医学的な観点と物理学的な観点が融合した世界感で様々な発見がでてくることになるでしょう。
目でみることができない人間の「意識の姿」がより明確になるのです。
意識に姿があるんですか?と思った方もいるでしょう・・・。
意識には姿:形状があります。
ビックリですね(笑)
一般的に意識というのは、意識がある:目覚めている、または意識が無い:眠っている:昏睡状態にあるという具合で使われます。
起きているか、寝ているかの違いです。
ここでややこしいのは、意識がない状態または昏睡状態の状態でも、意識は動いているという部分でしょう。
例えば、夜寝ている時は意識はありませんが、実際には全く意識がないわけでもありません。
意識は寝ているときは別のリアリティー:夢に焦点を合わせているだけです。
夜みる夢に似たもので「デイドリーム:百中夢」というものがあります。
ウツラウツラしている時などに、半分は起きている状態で夢を視る、またはヴィジョンを視るなどの状態です。
夢に関していうと、夢を視ている時に明確な意識がある場合と、意識がない状態:覚えてない状態があります。
どちらにしても、意識が起きている時のリアリティーとは全く様相の違う世界を体験していることに変わりありません。
意識は起きている時の現実だけではなく、違った世界を体験できるのです。
意識が目覚めている:起きている時のリアリティーには共通性があります。
みんな同じものを見て、同じ物を触ると同じような感触を感じます。
すべての人にとってリンゴはリンゴであり、リンゴはオレンジになりません。
同じ現実の密度または硬さに焦点が合っているからです。
しかし全員が全く同じリアリティーを体験しているのか?というと、人によって微妙な差があります。
例えば「幽霊目撃」や「ET目撃」「妖精目撃」「龍目撃」などの、一般的なリアリティーとは少しまたはカナリ離れている類の世界を体験できる人も多々います。
これらのパラノーマル現象は、目撃できる人と、そうでない人の格差がとても大きいものです。
見える人には見える、感じれる人は感じるのでリアルな体験ですが、見えない人、感じられない人にとってはナンじゃらホイ?な世界です。
大多数の人たちは、このようなパラノーマル世界は非現実だと思っていますが、実際にはどうなのでしょう?
ここでの争点は、パラノーマル現象を認知できる人と、できない人の違いです。
世の中の大半の人たちはパラノーマル現象を認知できません。
しかし世の中にはパラノーマル現象を体験している、または認知できる人もたくさんいらっしゃいます。
ではいったい何が違いを生んでいるのか?
認識力の違いです。
大多数はパラノーマル現象をリアルに認識することができません。
しかし可能性がないわけではなく、単に認識できるところまで到達してないだけです。
ではパラノーマル現象を認識できる人たちと、そうでない人たちの実際の違いはなになのか?
認識機能の違いです。
認識する機能の精密さに違いがあるだけ。
パラノーマル現象をリアルに体験できる人たちは、認識機能の性能が一般の人たちと少し違うだけです。
パラノーマル現象にも様々な世界があります。
アストラル界、エセリック界、精霊界など様々な存在領域があり、それらは波動の密度と周波数によって領域が異なります。
どの領域に意識の焦点が合いやすいかによって体験するリアリティーの趣が変わります。
リアリティーの認識機能を向上させるのは然程難しいものではありません。
25年前の波動域に比べると遥かに密度が上昇しているので、現在の時点ではふた昔前よりも遥かに容易になっていると思います。
リアリティーの認識機能を向上させる一番簡単な発育方法は、すでに発達している人たちと交流し、その時間を増やしていくことです。
ESP能力者と時間を過ごせば過ごすほど、一緒にいる人のESP感覚は自然に、そして遥かに速く成長します。
ESP能力者たちに囲まれて生活すればするほど、ESP感覚は鋭くなっていきます。
では人間の認識機能はどういう仕組みになっているのか?
基本的には「脳」と「神経系」です。
私たちが経験する現実は、脳の中で構築されます。
脳がリアリティーをリアルに作り出しているということです。
では脳が破損する、壊れてしまうとどうなるのか?
リアリティーが変わります。
簡単ですね。
脳がリアリティーを作り出しているわけですから、脳の機能が変化すると、体験するリアリティーは変化します。
人間の感覚機能は基本的に誰でも同じ構造です。
同じ構造なのに機能性が違ってしまうのはなぜでしょう?
それは認識コーディングの違いから生まれます。
パラノーマル現象を体験できる人たちは、パラノーマルな領域とマッチングできるコーディング:認識能力を持っています。
それぞれの領域でコーディングが微妙に違うだけで、機能的にはホボ変わりはありません。
より微細な領域または密度の違いに敏感だということもできます。
これも「立体的な意識」に関係します。
パラノーマルな領域を認識できる人たちは、普通の人々より多く情報処理することができます。
脳がパラノーマルな領域を情報処理できるのです。
普通のコンディションよりも情報処理が多角的に行われるという書き方もできます。
パラノーマルな領域を認識できる人たちは、一般的な現実の他に、別の領域も同時に処理できるわけですから、リアリティーの幅が広いという書き方もできます。
グランドフェースが進行していく中で地球の波動密度が上昇し続けますが、これと同時進行していくのが、私たちの意識の上昇です。
波動の密度の上昇はエネルギー値の上昇でもあります。
波動の密度が上昇すればするほど、エネルギーの密度も上昇します。
意識はエネルギーですから、波動が上昇すると意識の密度も上昇します。
私たちの意識は肉体と繋がっています。
そして私たちの意識は肉体の制限をとても強く受けています。
多くの人たちは自分の意思の力で肉体をコントロールしていると思っていますが、実際には真逆です。
自分の意思の力で肉体を100%コントロールできる人は極めて稀な存在です。
肉体的な制限、肉体の機能や性能、そして肉体が備えている独自の感情や思考が私たちの意識の状態に強く影響を与えています。
肉体は私たちの意識と互換性を持っていますが、基本的には全く別種類のエンティティー:存在です。
肉体は独自の感情を持ち、独自の思考を持ち備えています。
私たちの意識は、それに乗っかっている、または包みこんでいるだけです。
私たちの意識は肉体と共生しているのです。
これをバイセンサスといいます。
意識そのものは制限を持ちませんが、肉体には制限があります。
意識は意識だけの存在になると物質的な壁をすり抜けることが可能です。
しかし肉体的な制限を強く受けている状態ではホボ無理です。
この状態も意識が立体化するに従って状況が変わってきます。
意識の密度が高くなり、より立体化するに従って肉体をコントロールできる範囲は広がっていきます。
意識の立体化は肉体の操縦だけでなく、自身の感情や思考の領域でも同じように立体的に働きかけやすくなっていきます。
グランドフェースが進むに従い、私たちの意識は、自らの感情や思考の領域もよりコントロールしやすい状態へ変化していきます。
私たちの感情や思考は肉体的なコンディションの影響を強く受けています。
コグニション:認識に関しても同じで、認識すら肉体的な影響を強く受けています。
肉体をより多角的に操縦できるようになる意識の密度になればなるほど、肉体的なコンディションを受けている感情や思考、そして認識機能もよりコントロールできるようになっていきます。
この部分の多くは爬虫類脳と呼ばれる脳の領域と密接に関係し、エセリック領域とネガティブ爬虫類系ETとも深く関係しています。
認識のシンプル化・2016/09/27
これまでの記事を書いた後に上から一言・・・・。
もっとわかりやすく、やさしく書いたらどうですか?
まか〜ウラ:それは一般的なチャネリングメッセージ的にということですか?
優しい波動に意識を当てながら書いてみては? 子供でもわかるように。
まか〜ウラ:言っている意味はわかりますけど・・・。
そんな会話がしばらく続き、どうしたものかと考えながら寝ました。
正直なところ、わたしは小難しい論理的で構造的な傾向が好きなのです。
曖昧で構造があやふやだと判りにくいからです。
しかし世の中の大多数が私の脳と似たような働きをするわけではないのも理解しています。
ニューロ心理カウンセラーも同じように言っていました。
「多くの人があなたのような知性を持っているわけではありません」
そしてオマケのようにシアトル周辺で最も名の知れているサイキックのTさんにトドメのように言われました。
「あなたのように多次元的に存在している人には会ったことがない・・・」
多次元的な知性というのは難解なものなのかもしれません。
自分でもワケがわからなくなる場合も多々あるので、他からみればもっとワケがわからないのは当然なのだと思います。
個人的には、もっとシンプルだったらよいのにと思うことも多々あるので、多次元的なシンプル化を目指して自己改革中というのが現在の状況です。
これもコグニション:認識に関するものなので、真面目にコグニション・アクティベーションに取り組んでいるわけです。
わたしの認識は複雑性の構造的な理解と再構築に焦点を合わせるように習慣化しています。
これをシンプルな方向に再プログラムすることは考えていません。
わたしの多次元性は複雑極まりない状態、または曖昧で不明確な状態から、シンプルな世界へ変えるための方法だからです。
複雑なものをシンプルに省略して説明することは可能です。
しかし複雑性を映し出している項目を大幅に省略してしまうと、その本質的な部分もみえにくくなり、全体性も曖昧になりがちです。
複雑なものを理解するには、それなりのエネルギーを使います。
一個のものを観察するのと、10個の別のものを観察することの違いのようなものです。
これも認識に関係し、立体的な意識に関係します。
普通だと1個のものを観察するのはさほど難しくありません。
しかし10個の別のものを同時に観察するとなると話は別です。
もう少し噛み砕いて書いてみます。
同じ部屋の中に10人の子供と一緒にいるとします。
一人の子供の行動をフォローするのは難しくありません。
しかし10人の子供たちは10人それぞれいろんなことをします。
一人を見ていると他が見えなくなってしまう。
10人を同時に把握できるようになるにはどうすればよいか?
脳と感覚機能が向上するしかありませんネ・・・・(笑)
多くの人は1つのものに意識を当てることはできますが、2つ以上のものに同じように意識を当てる訓練がされていないので極端に意識が混乱し、一つのものにさえ集中できない状態になります。
それが10個のものを同時に同じように把握するなど想像もできないでしょう。
10個のものを同時に同じように把握できるようになるためには、脳と意識が10個のものを同時に把握できる状態へ変化する必要があります。
わたしの多次元性がもっとシンプルだったらよいのにというのは、この部分に関係しています。
情報として10のものが同時に入ってくると、複雑な感じがするし、それを演算するのにカナリの集中力やエネルギーを使うからです。
今の状況だと、10個の項目を同時に把握するというよりは、アッチに行ったりコッチに戻ったりと、激しく意識を動かさないと処理できません。
それは脳と感覚機能が360度立体的に認識できる状態にまで進化していないからです。
古代エジプト的アセンション経験の中で、意識が360度の立体になる経験をしました。
この時は壁も通り抜けたし、360度認識できたのです。
あの経験はETの助けによる一時的なものですから、それがいつも起きているわけではありません。
しかし一度体験してしまうと忘れなれない・・・。
本当はあそこまで行ける可能性を持っているのネ・・・(驚)
あぁ、どうやったらあの高さまで再び到達できるわけ???
そこで色々と考えました。
考えたというよりは、可能な限り360度体験を思い出し、一体なにが違っていたのかを吟味したというのが近いと思います。
視界が360度のときは、まず意識の状態が違いました。
意識そのものが様々なものに縛られていない、絡まっていませんでした。
感情の働きにいたっては、恐怖とか戸惑いとかもありませんでした。
感情無しな意識状態です。
思考の動きにしてもカナリ違っていて、グチャグチャと考える思考の状態ではありませんでした。
考えるというよりは、観察していたというのがもっとも近く、単純にクリスタルクリアーな視界だけという感じです。
ということは、普通の状態の意識は、いろんなものに絡まっている、複雑な状態にあるのです。
その中には認識の法則も含まれています。
そこで思いついたのが、意識を360度の立体構造へ近づけるための「認識のシンプル化」です。
現在よりもっとシンプル化させて、よりスムーズに、より速く、よりエフォートレスに演算できて、美しくシンプルに認識できるような意識の構造にすることを目標にしています。
ここまでくるとESPもアドヴァンスで難度が高いと思いますが、地道に進んでいけば、その内に少しつづ近づくのではないでしょうか・・・。
簡単に書くと、真面目に立体的な意識への変容に取り組んでいるということです。
グランドフェースの密度上昇の中での認識の変化が、わたしたちをいったいどこまで引き上げるのか?
現在のところ個人的な範囲ではおおよその見当はついていますが、全人類規模になると皆目検討がつきません。
密度上昇に関しても同じようなものです。
個人的には、今よりもさらに多次元生活になると思いますが、全人類規模でどこまで多次元と重なるのかは想像の域をでません。
現在の段階だと、まず地球のスーパー地下文明が人類との交流を再開する動きがありますが、まだ本格的に進んでいる状態ではないようです。
予測では、地域的に多次元化が顕著に現れ始めるのではないかと思います。
パワースポットなどの、ある特定の場所に行くと、今よりも多次元的な交流が起きやすくなるでしょう。
認識の違いってなんですか?・2016/10/04
「立体的な意識」は5D意識とも言えると思います。
5D世界観は現在のアメリカでも初期段階で、5Dを意識している人は少ないようにみえます。
日本はどうなのでしょう?
私はFacebookで様々なE.T.系のグループのフィードに登録しているので、各グループの意識の動きを見ている限りでは、5D意識を明確に認識している人たちは少ないと思います。
かと言ってグループの人たちが5D意識でないのかというと、そうでもありません。
コメントなどを読んでいくと、多くの人が5Dな視点で物事を捉えているのがわかるからです。
単純に5Dというレーベルを使ってないだけ☆
意識が立体的に変化し始めて顕著に変わるのは「気づき」でしょう。
一言に「気づき」と書いても曖昧だと思うので、少し噛み砕いて書いてみます。
「気づき」という言葉は精神世界で頻繁に使われます。
単純に書くと「我に還る」というものです。
フト何かの切っ掛けで、自分自身や物事を別の視点で理解できてしまう意識状態です。
「気づき」と相反する状態が「囚われ」です。
囚われている意識状態とは、意識が狭い領域、または狭い角度に焦点を合わせている、意識の檻の中に入っているという書き方もできます。
一つの物事を捉えるのに100の捉え方があるとします。
一つの認識の角度はとても狭い角度でしか物事を見れない、広く多角的に捉えることができない、狭い意識状態です。
「思い込んでいる状態」と同意語です。
または可能性を広くみてない、広く捉えてないと書くこともできます。
広がっている意識<==>狭まっている意識
柔軟性の高い意識<==>柔軟性の低い固まっている・縮んでいる意識
多角的な意識<==>一方的な意識
世の中の大多数は、意識という言葉は知っていますが、どこまで「意識」というものを理解しているかといえば、カナリ疑問符です。
その理由は、意識そのものに関して学ぶ機会がないからです。
家庭や学校で「意識」のことを学んだことがある人は極めて稀でしょう。
そういう背景から、もともと「意識」に関することを深く知らないのです。
精神世界では頻繁に「意識」という言葉が使われます。
一般的なのは以下の三つ。
①顕在意識:生活の中で動いているマインドのこと
②潜在意識:通常は隠れている意識・通常は意識していない別の状態の意識
③超越意識:通常は意識してない高位な意識
「気づき」というのは、マインドが新しい世界観・視野・視点・観点を認識する時のことです。
何かに気づく時は、現状よりも更に広い視点で物事を認識します。
何かに囚われている時は、その檻の中で物事を捉えます。
意識の檻の中では、それに囚われているために意識がとても制限されている状態です。
意識の檻から出ることができれば、その狭さに気づくことができます。
その時は意識が広がった気がするのですが、しばらくすると別の領域の意識の檻を認識し始めます。
それから出ると別の領域の檻があることを認識し始めます。
しばらくすると一体どれだけの意識の檻または制限があるのか考えるようになります。
自分自身に対する気づきが増えていく毎に、次のハードルが終わりなくロシア人形のように出現してくる。
少し具体的に、興味深い内容で書いてみます。
シアトルにはメタフィジカルライブラリーという精神世界各種の書籍をコレクションしている小さな図書館があります。
そこでヴォランティアの女性と、たまたま来館していた女性との話です。
ヴォランティアの女性が、◯◯大通りのことをボヤいていました。
「◯◯大通りを運転するのは怖いわ。売春婦を探している変なドライバーが多いから」
◯◯大通りというのは、国道線沿いにモーテルが立ち並び、夜は売春婦が立ち、それを求めているドライバーがピックアップできる大通りです。
◯◯大通りに変なドライバーが多いのは売春婦が呼んでいるからで、売春婦を何とかしてほしいというのがヴォランティアの女性の考えでした。
現在の◯◯大通りは以前よりも整備され、新しいコンドミニアムが建ち始めているので、通り沿いの環境も電灯が増え、植木も増え、カナリ早い勢いで整えられ始めています。
そこで売春婦に関する話になりました。
売春=セックス産業は歴史の中で最も古い職種の一つに入ります。
セックス産業を抜きにして人類の長い歴史を語ることはできません。
これは男性主義的な世界の中で生まれたものだと書いても過言ではないでしょう。
現在は女性の権限が以前よりも遥かに認められていますが、過去はそうではありませんでした。
そして未だに女性に全く権限がない国も多々存在しています。
今でも女性は男性より地位が低い、女性は男性の持ち物という考えを持っている、支配的な男も多々いるのが事実です。
男性優位で女性軽視の宗教観では普通のことです。
では女性は男性よりも劣っているのか?
そんなことはありません。
男性も女性も同じ人間です。
女性蔑視の男は、女性だけでなく、ゲイやレズビアン、性転換者などに対しても偏見を持っている場合が多いと思います。
ようは男性優位主義なだけ。
世の中は男性主義で進んできたわけです。
また世の中には売春婦だけでなく、売春夫もいます。
売春するのは女性だけというのは思い込み。
男性も売春してます(笑)
一般的に売春は男が女を買うというイメージですが、これは狭い視野からくる思い込みです。
実際にはそれだけではありません。
女性が男性を買う、男性が男性を買う、女性が女性を買うなど様々なヴァリエーションがあります。
思い込みに気づくと、それまで気づかなかった、認識していなかった色んな背景が見えてきます。
◯◯大通りに売春婦が多いのは事実ですが、それだけではありません。
そのファクターの一つとして絡むのがドラッグです。
ではなぜ売春とドラッグが世の中から消えないのか?
のですれはビッグ・ビジネスだからです。
ビジネスの基本は消費者の数で決まります。
消費者がいなければビジネスは成り立ちません。
売春もドラッグ販売もお金を得ることができるビジネス。
ビジネスできるということは、そこにマーケティングがあるということです。
それを求める人たちが多いということ。
これは需要と供給の関係にあります。
セックスが売れるのは事実。
別の話ですが、主婦の友人がわたしに言いました。
「セックスないと生きていけないでしょ?」
瞬間的に私の脳みそは静止です・・・。
え? そんなことないけど・・・・? ということは、あなたはそう思っているのね・・・?
話の前後のニュアンスから、男はセックス無しでは生きていけないというのが彼女の視点なのではないかと察しました。
男はセックス無しでは生きていけないか?
これは男女関係ないでしょう。
セックスの重要性は人によると思います。
実質的にセックスレスの夫婦は増えていますよね。
別の女性の友人から似たような話を聞きました。
「私の女友達ね、結婚相手を探しているんだけど、面白いのよ。相手のプロステート:前立腺の検査が最も大事なんだって。その理由はね、セックスできないと困るからだって」
セックスを重要視するのは男性だけでは無いということです。
話を元に戻します(笑)
ヴォランティアの女性はコンピューター系のハイテク技術者で、売春婦に対する偏見が強いのは明らさまでした。
売春婦は学歴が無い的な視点です。
これもかなり狭い視野だとしか言いようがありません。
自分の学歴と職種から自分が女性であるにも関わらず、同じ女性を蔑視していることに気づいていません。
売春ビジネスにも様々な趣向がありますが、高学歴な人も多々いらっしゃいます。
売春にも様々なグレードがあり、高級になればなるほど頭が切れないと通用しません。
ハイテク技術者より遥かに高額を稼いでいる売春ビジネス女性はザラにいるでしょう。
一緒に話していたお客の女性が言いました。
「私はよく夜中に徘徊すること多いのよ。売春婦たちとも話したことあるわ。頭いいわよ、あの人たち。場合によっては危険だから、頭良くないとできないでしょう」
彼女の顔には何の偏見もありませんでした。
ヴォランティア女性の目が点に・・・。
まだワイキキに住んでいた時によくクーヒオ通りを歩いて商売しているコールガール達に声をかけられたものです(笑)
そこでお誘いを断るのに短い会話をしたことがありますが、決して頭が悪いわけではありません。
頭が悪いように見える、もしくはそのように演出しているだけだと思います。
なにが言いたいのか?
売春婦またはセックス労働者に対する観念です。
その人が売春をどう捉えるか、自分の中でどのように位置付けるかという意識の視点です。
わたしとお客さん女性の視点では、◯◯大通りの状況や売春は、さほど大きな問題ではありませんでした。
世の中そんなものだし、今に始まったことでもないし。
しかしヴォランティアの女性にとっては自分の生活を脅かす大きな問題なわけです。
その主な理由は彼女の恐怖心。
「◯◯大通りを運転するのは怖いわ。売春婦を探している変なドライバーが多いから」
これが更に発展していきました。
「◯◯大通りであれ、どの通りであれ、アメリカの夜をドライブするのが安全であるわけでないでしょ?」
怖いと思うのは、それを対処できないと知っているからです。
怖い=自分が傷つく、痛い目に会う、被害に遭う
これもコグニション:認識に関わります。
ややポジティブ認識だったら「安易に売春しなくても生きている世界にしたいわ」「襲われるのが怖いのなら、自己防衛でも学んで強くなれば平気だわ」と考えるでしょう。
↑ これが一般的だと思います。
しましたカハラのシェアハウスに住んでいた時に、セックス産業で生きている黒人女性がシェアメイトだったことがあります。
イルカ系の波動が強い彼女はとても頭の切れる方でした。
ドルフィンヴァイブの強い方はセックスに対して開放的だと思います。
そして彼女のセックスに対する観点に私のお目眼は何度・・・になったことか・・・。
彼女は「セックスが大好き!」と明るくキッパリ明言。
「タントラ・セックスをカップルに教えるビジネスしたいワ!」
この言葉でわたしの中のセックス観点はヒックリ返りました・・・。
凄すぎる・・・・(汗)
さらにポジティブな認識だと「セックスが解放されて、セックスに対する偏見がない世界になって欲しいわ」となりえます。
なぜならセックスに対してコンプレックス感を持っている人は男女ともに大勢いるからです。
これをさらに発展させるとどうなるか?
「単なる肉体的な快楽セックスではなく、高い精神性の中での性生活を求める人が増えてほしいわ」
アメリカの精神世界ではセックスを通じて悟りの境地に到達したいと思っている方々も沢山いらっしゃいます。
セックスと悟りの関係も興味深い世界なので、別の機会に書いてみるかも知れません(笑)
何が言いたいのか?
全ては物事をどう捉えるか、どういう風に認識するかだということです。